■城内にある高天神社へ
井戸曲輪跡の先には高天神社につながる石段があるので、参拝していこう。高天神社は高天神城を守護する神社で、かつて東峰に建てられていた。現在では戦国時代に攻撃の拠点であった西の丸に移設されたため、神社の本堂の前には西の丸跡がある。
高天神社の奥には馬場平跡(ばばだいらあと)につながる階段がある。馬場平は西峰の最高峰にあり番場、すなわち見張り番所があった場所だとされている。ここからの景色は圧巻の一言で、駿河湾まで見渡せる。東屋やベンチが備えられているので、ここで少し休憩して、ゆっくり景色を楽しんでいこう。
■難攻不落な山城の名残り
高天神城は、戦国時代に今川氏が築いたとされ、その後、徳川家康が手に入れ、武田信玄・勝頼との領地争いの場となった。
一時は勝頼軍率いる武田軍が攻め落としたが、長篠の戦いの後に徳川軍が奪還した。堀切や土塁、空堀など、約10年に渡って熾烈な戦いが繰り広げられた堅牢な山城の名残が各所に残っている。
堀切とは尾根を渡って攻めてくる敵軍を阻むために、尾根を断ち切るようにV字に掘られた堀りのこと。侵攻途中に道が無くなるので敵軍の足止めができる場所で、木々に埋もれた高天神城跡では、400年以上前に造られた堀切の一部を見ることができる。
高天神城には空堀の跡も残っている。戦国時代当時は、今残っている空堀よりも深さがあったと考えられており、ここに敵軍を落として行動不能にしていたのだ。
高天神城跡には徳川家の家臣が幽閉されていた石牢や三の丸跡や二の丸跡、堅牢な山城の名残が伺える土塁や横堀などここでは書ききれないほど見所があるので、ぜひ足を運んで自分の目で確かめて欲しい。