「ちゃんと奥から詰めてね。みんなが座れるようにしなさいよ」

 優しい小学校の先生のように促す内野さん。全員が席につくと、お話しが始まった。

 「その掛け軸は、中国浙江省の杭州というところにある径山万寿寺というお寺を描いたものです。この栃沢出身の禅僧、聖一国師が修行した場所で、国師はそこから仏教とともに茶の種を持ち帰りました。今から750年の前のことです。国師は帰国すると京都の東福寺を開山しました。持ち帰った茶の種を故郷の栃沢に近い足久保に蒔きました。それが静岡茶の始まりです」

 「その径山万寿寺はずっと前に焼失してしまいました。20世紀の終わりごろ、寺を再建することになったとき、東福寺に保存されていた寺の詳しい様子を記録した図が役に立ちました。聖一国師が持ち帰ったものです。そこに飾られているのが径山万寿寺の絵ですよ」

 静岡出身の禅僧が、長い歴史を経て日本と中国とをつなぐ物語だ。

 内野さんが在来種の育成を手がけているのは、育てやすい「やぶきた」だけに頼ることなく、地元の風土に合う個性的な品種を模索するためだという。

 内野さんの振舞ってくれた在来種のほうじ茶は、力強さと繊細さを兼ね備えた天下一品の味わいだった。

自作の在来種のほうじ茶を入れる内野さん
酒饅頭と共にいただく内野さん作のほうじ茶「きんざん」は天下一品

 内野さんは生産者としての顔と啓蒙家としての顔を持つ。

 1980年代から自宅でお茶席を設け、国内外の人にお茶を振舞っている。内野さんの茶園では茶つみやお茶作り体験もできる。地元の学校での日本茶教育にも携わっている。小中学校での授業だけではない。

 「この辺りの生徒さんたちが修学旅行で京都へ行くでしょう。東福寺にも行くわけです。地元と深い関係のお寺さんですよ、なんていっても実感がわかない。思い出に残らない。そこで東福寺さんと相談して、修学旅行生が境内に茶の木を植樹できるようにしたんです」と内野さん。

 日本茶をめぐる文化と歴史を実体験とともに伝える先生がそこにいた。

栃沢と京都、中国浙江省のお茶をめぐる物語を語る内野さん

 日本茶の生産者はそれぞれが、深い知恵をたくわえた職人だが、その知恵を外に発信する人は少ない。内野さんのような人に続く若者が増えれば、日本茶をめぐる文化はもっと広がっていくだろう。

 お茶を飲み終わった私たちを、内野さんが茶畑に案内してくれた。よく見れば葉っぱの色や形がそれぞれ違う。さまざまな種からいろんな茶樹を栽培し、研究しているのだ。内野さんは最後に「できれば浙江省でとれた茶の種からもう一度、茶を育ててみたい。聖一国師が持ち帰った茶を再現してみたい」と話してくれた。

茶畑で在来種を育てる苦労を語る内野さん