2月23日は「天皇誕生日」で国民の祝日となった。この日は富士山の日でもある。「2(ふ)2(じ)3(さん)」という語呂合せと、この時期は富士山がよく望めるということも理由なのだそうだ。自治体としては、山梨県の河口湖町が2001(平成13)年12月に、静岡県が2009(平成21))年12月に制定している。
いうまでもないが、富士山はインバウンドの観光客にとって最も人気のある山である。コロナ禍で約3年間、入国が厳しく制限されたが、いまや日本中に外国人観光客が溢れている。静岡県ではコロナ禍の前に、富士山を望む絶景の茶畑をはじめ、静岡の日本茶の魅力を発信するためのメディアツアーを実施。このツアーに東京人形町で日本茶専門店「おちゃらか」を営むフランス人茶商、ステファン・ダントン氏も参加した。入国規制も大幅に緩和された今、その時のステファン氏のレポートをお届けしよう。
■フラットな視点で静岡の日本茶産業の現状を見てみたい
2020年2月のとある水曜日の朝早く、私は静岡県に向かっていた。茶商として県内の茶産地を訪ねたり、日本茶業界の一員として茶葉の審査会に出かけたりするのはしょっちゅうだけど、今回の静岡行きはちょっとちがう。
この連載を掲載している双葉社の担当者S氏に誘われて、静岡県が主催するメディアツアーに参加することになったのだ。テーマは県内の日本茶産業だという。
「ステファンはずっと、日本茶業界の姿勢が変化しなければ日本茶が世界にはばたけないって発言してきたよね。今のステファンは日本全国股にかけていろんな活動をしているし、海外とのつながりもずいぶんある。でも、ステファンの日本茶との関わりのスタート地点は静岡だったでしょ。ステファンが活動を始めてからずいぶん経っている。静岡の茶産業もずいぶん変わったんじゃないかな。今回は取材者の視点で茶産業の現状を見て回らないか」と担当のS氏。
日本茶を仕事にしてから約15年。私は私なりにがんばっている。以前に比べれば日本茶はポピュラーになった。海外でも日本茶ブームだと喧伝される。私も少しは貢献してきたはずだ。だが実際、日本茶の国内消費量も輸出量もまだまだだ。「がんばっているのに結果が出ない」というジレンマを感じる毎日だ。
私には長年付き合ってきた日本茶生産者も行政関係者も研究者もいる。業界の変化についても、かなり承知しているつもりだ。みんな着実に進化している。でも、まだ何かが足りない。足りないものとは何か。
私は今回のツアーに参加して、その答えを導き出したいと考えた。フラットな視点で静岡の日本茶産業の現状を見てみたいと思った。
■静岡が見せたい茶産地の本気
東京駅から静岡駅まで、東海道新幹線の各駅停車「こだま」に乗って1時間半弱。熱海あたりの海を過ぎ、間近に迫る富士山に歓声を上げる同行者たち。線路のそばの畑と遠景の南アルプスを眺めるうちに静岡駅に到着した。私を含む参加者約10人は、駅前から県が用意してくれた小型バスに乗り換えて、最初の目的地に向かった。
バスに乗り込むと、何冊かの冊子が入った紙袋を手渡された。今回のツアーの資料が入っているという。
バスは東に向かっているようだ。
県と静岡市、農林事務所の担当者があいさつに続いてルート説明をしてくれている。
「お手元の資料をお開きください。本日みなさんに見ていただくのは……」
狭い座席で資料の文字を追うのがつらかったし「行けばわかる。見ればわかる」と思って資料を見るのはパスしてしまった。だけど説明してくれる担当者の声音からは、東京のメディアに日本三大茶産地、静岡の良さを発信してほしいという彼らの本気が感じられた。
ツアーを回って最終的にわかったことだけど、主催者は今回、静岡市をケーススタディとして、
1)個としての茶生産者の取り組み
2)グループでの発信にトライする生産者
3)静岡食材を生かす飲食店
4)在来種を育成する茶園
5)日本茶業界全体の活性化を模索する茶商
の順に巡ることで静岡県の日本茶の魅力とそれを生み出す生産者や事業者の取り組みについて網羅的に紹介してくれた。
「最初の目的地まで40分ほどかかります」といわれて揺られるバスの中。山道を上る。車窓の景色はどんどん変わる。新東名高速道路の橋脚の間を縫って走る道。杉林の間を流れるのは安倍川の支流だろうか。たどりついたのは標高350メートルの清水区の両河内地区。
バスから小型車に乗り換えてさらに山道を上る。見覚えのある道だ。
■個としての茶生産者の取り組み 〜歴史ある茶農家の若手はとんがってる~
車を降りて木立の間を抜けると、目の前は斜面一面の茶畑。振り返れば茶畑とともに駿河湾と富士山が同時に視界に飛び込んでくる。茶どころ静岡県でもこの両河内地区からしか見られない景色だ。
私はこの茶園をよく知っている。「豊好園」といって20種類以上の品種を育てる名人の茶園だ。あるじの片平さんはもう70代になっただろうか。久しぶりに訪れたが彼の姿は見えない。斜面には、以前訪れたときにはなかった6畳くらいのウッドデッキが設えられていた。
ウッドデッキの上では金色に髪を染めた青年が地下足袋姿の茶農家スタイルのままお茶の支度をしていた。片平さんの息子さん、この茶園3代目のあるじだ。
彼は私たちの前に立ってよく通る声で現在の取り組みについて語ってくれた。
自身の茶園で良質な茶葉を生産する一方で、独特の景観の楽しめる茶畑を都会から来る観光客に楽しんでもらおうと、昨年このウッドデッキ「天空に浮かぶ座敷・茶の間」を設えたのだという。茶葉と茶器とお湯を揃えてお客をここまで送ってくると、自身は農作業のためにその場を離れる。お客は90分間、自分たちだけの時間を過ごすことができる。時間になると迎えが来る。(※2020年2月現在)
片平さんは「良質な茶葉を作っているという自負もある。評価ももらっている。けれど、私には自身の茶園だけでなく、周りの仲間と一緒に両河内の茶生産を活性化する使命があると感じた。閉鎖される地元の茶工場の経営を引き継いで、仲間と一緒に共同工場を始めた。消費者に日本茶の生産の現場を見てほしくてこのウッドデッキをこしらえた」と真剣な眼差しで話してくれた。
「3年前だっけ。以前会ったときは黒髪だったよね。何があった?」と茶化す私に「美容師が勝手に……」なんて答えたけど、私には日本茶の未来のために「とんがっていこう」という覚悟の証に見えたよ。