川下りを始めたばかりの20代の頃、足繁く通って経験を積んだ川がある。長野県に端を発し、愛知、静岡を経て太平洋へと注ぐ「天竜川」だ。穏やかな下流域で練習を重ね、風光明媚な天竜峡へとステップアップをし、慣れてきたら急流の鵞流峡(がりゅうきょう)へ挑戦した。変化に飛んだコースの数々は経験を積むのに最適な場所だったのだ。川の水はお世辞にも清流とはいえないが、それを補ってあまりある景観の良さも若い頃の僕を魅了した。前編の今回はこの川の紹介と、僕の川旅黎明期の記録を残していく。

■下流に行くほど、きれいになっていく川

 天竜川の源流は長野県の諏訪湖で、川の総延長は213km(全国9位)。勾配がキツいことで水流が速く、その姿が竜が天に登っているように見えることから、その名がついたといわれている。

 この川が不思議なのは、上流部の水が一番汚く、下流域に近づくにつれて水がきれいになっていくってこと。普通は逆だ。これは、源流部にある諏訪湖がもっとも汚れていて、中流域に入ってから多くの支流のきれいな水が流入して浄化されるから。諏訪湖はかつて水質の良い湖だったらしいが、時代が高度経済成長期に至ると、産業の発展、農地の拡大、人口の増加により、多くの工業排水や生活排水が湖に流入して、一気に汚れてしまったのだ。

支流には清流が多い。写真は和知野川

 川旅をしていると、「昔は良い川じゃった」という地元のおじいちゃんの話とともに、いつもこの“高度経済成長期”という言葉に出くわして悔しい思いをする。あの時代に、豊かさと引き換えにどれほど多くの川が死んでしまったんだろう? そして今、豊かさと思っていた世界が、“じつは本当の豊かさとは違っていた”ってことに気づいた人たちが川に戻ってきているが、そこにはすでに本来の川の姿はなくなっていたという笑い話。環境問題にしろ、恋愛問題にしろ、失って初めてその大切さに気づくのは、人間に備わっているデフォルトの機能らしい。

 水質こそいまいちだが、冒頭で書いた通り、この川にはそれを補ってあまりある景観の良さと、変化に飛んだコースがある。風光明媚な中流域は、和船に乗って急流を下る天竜舟下りや、紅葉の名所としても知られる天竜峡をゆく天竜ライン下りが有名。このような観光和船が通る川なので、釣り師からも「川は船が通るもの」と認識されており、夏でも気兼ねなく下れる数少ない川としても知られている。