東京オリンピック開催が間近に迫ってきた。今大会から初めて競技に採用されるクライミング競技への世間的注目は、数年前には誰も想像ができなかったほどの高まりを見せている。室内の人工壁を登る「スポーツクライミング」の競技的魅力が注目される一方、自然の岩壁を道具を使わずに登る「フリークライミング」と呼ばれる世界も存在するのが、クライミングの面白いところ。

 今回は70年代に、世界中のクライマーが憧れた先鋭的フリークライマー集団「ストーンマスターズ」の中心人物の1人、マイク・グラハムに話を聞くことができた。前後編に分けてお届けする前編では、爆発的な盛り上がりを見せた当時のクライミングシーンの始まりから、順を追って話を聞いてみよう。

Profile:マイク・グラハム  1956年生まれ。クライミングウェアブランド「ロックス」、「ストーンマスター」の創業者。70〜80年代にかけて、ヨセミテを拠点に仲間たちと共に数々の初登攀や難ルートのフリー化に成功し、当時のクライミング界を牽引した。

1冊のガイドブックが、少年をクライミングの聖地・ヨセミテへと導いた

カリフォルニアのヨセミテ溪谷は、クライマーならば一度は訪れてみたい憧れの地

—マイクさんはどこでクライミングを始めたのですか。

 私はカリフォルニアのビーチタウンで生まれ育ちました。地元に大きな山はなかったのですが、中高校生のころから岩場でよくボルダリングをしていました。当時は登山に比べて、クライミングの社会的な認知度は低かったのですが、のちにクライミングの聖地となるヨセミテでは、すでにシリアスなクライミングが行われていた時代です。学校もかなりいい加減で、「授業をサボって登りに行ってもいいぞ」なんて言ってくれる先生もいましたよ。

ヨセミテでは生活費を節約するため、当時も今もクライマーたちはテントで生活を送っている

—クライミングに関する情報はどのように手に入れたのでしょう?

 当時はインターネットなんてない時代だったので、1冊の本が全てでした。60年代に書かれた『グリーン・ローパーブック』という緑色のガイドブックがあって、それによるとどうもヨセミテという場所では、すごいことが起こっているらしいと。

—現在でいうトポ(難易度などが書かれたルート集。クライミング用のガイド本)のような本ですか?

 もっと大雑把なものですよ。ガイドブックといっても、細かいルートの解説ではなくて、とてもざっくりとした内容でした。でも、そんなことは問題じゃなくて、そこに載っている巨大な岩壁の写真や登場するクライマーたちの名前こそが重要でした。イヴォン・シュイナード、トム・フロスト、ロイヤル・ロビンス、ジム・ブリッドウェル……。彼らは私のヒーローでした。毎晩それを穴があくほど眺めては、いつかヨセミテに行く日を想像してワクワクしたものです。

国立公園としてきれいに整えられているため、クライマー以外の観光客でも賑わっている

—初めてヨセミテに行った日を覚えていますか?

 もちろん。15歳のときでした。トンネルを抜けて、初めて巨大なヨセミテ渓谷が目の前に現れたときは興奮しましたよ。高校卒業後は、仕事に就かずにヨセミテに入り浸りました。クライミングに全てをかけてどこまでできるか試してみたかったんです。1974年のことですね。

—夢にまで見たヨセミテは、実際にはどのような場所だったのでしょう。

 最高の一言です。通い始めたタイミングも良くて、当時は本に出て来るような憧れのクライマーたちがまだ現役でバリバリ登っていたんです。彼らと一緒に登れるようになるなんて、夢のようでした。