■東大の源流から飯田橋までお堀端を歩く

 さて、続いては、最西端、それから最南端をめざして歩きます。

 この先は千代田区、文京区の区境がしばらくクネクネと行ったり来たりします。

神田明神は千代田区
湯島聖堂は文京区

 位置的には千代田区の上に文京区があるのですが、なぜか湯島聖堂の敷地が千代田区に食い込んでおり、神田明神(千代田区)の南に湯島聖堂(文京区)がある形になっています。

神田明神と湯島聖堂の間を縫うように歩く

 神田明神は、平将門を祀る神社です。平将門は新皇を名乗り、朝廷に対して反乱を起した人物です。将門は「朝敵」として討伐されたわけですが、怨霊を鎮めるために神様として祀られました。神様として祀られる将門を、家康は芝崎村(現・大手町)より現在地に遷座し、社殿を造営しました。

 以降、神田明神は江戸総鎮守として江戸っ子に親しまれましたが、家康が現在地に神田明神を作ったのは、江戸城の北東を守る守護神として遷座させた意味合いがあると言われます。

文京区が千代田区に食い込む場所

 さて、湯島聖堂からは昌平坂(しょうへいざか)という坂を上ります。

 昌平坂というのは、江戸幕府が設置した「昌平坂学問所」のあった場所です。

 昌平坂学問所は幕府の教育機関であり、出版機関でもありました。明治維新後にはその組織は東京大学へつながりますが、建物や敷地などは湯島聖堂となりました。昌平というのは、孔子の出身地である中国の昌平郷にあやかって名付けられたのだとか。

 徳川家康が江戸に入府したころ、このあたりには神田山という山があったそう。家康は山を削り取り、今の丸の内あたりにあった入江(日比谷入江)を埋め立てさせ、平地を広げたのだといわれています。

 削り取ったあと、さらに川を開削して神田上水とし、日本橋などへの水の供給を行うとともに、江戸城の外堀としての機能も持たせたのです。

 Fenix 8の地図モードでもしっかりと地図が表示されています。

家康は御茶ノ水駅あたりにあった神田山を削り取り、日比谷入江などを埋め立てた。水色は神田上水

 その外堀が江戸城、つまり今の皇居を内包する千代田区の、まさに境界となっているわけです。

神田山があり、御茶ノ水橋の上から神田上水(千代田区と文京区の区境)をみる
昇亭北寿『東都御茶之水風景』江戸時代の御茶ノ水の風景

 昌平坂を上りきると、今度は緩やかに下り始めます。

 ところで、坂を上り下りしたこのあたりで心拍数がどれぐらいになっているのか…… ちょっと気になります。

 「Fenix 8」のスマホアプリで見てみましょう。「Fenix 8」は、本体で記録したGPSデータや心拍数などの生体データをスマホアプリで見ることができます。

心拍数のデータ
GPSデータをスマホで表示可能

 たしかに坂を上ったあたりの心拍数が、全工程の中でも一番高くなっています。当たり前なんだけど。なんかすごいうえにおもしろい。自分の身体の調子がこうやって記録されて残るとなんだか、運動したくなってきます(運動嫌いなんですが……)。

 このあたりから、四谷までは、千代田区の区境は江戸城の外堀の中にあることになります。

千代田区と文京区の区境はこちら

 さて、当初は千代田区の区境。外周をぐるりと一周するぞというだけの軽い気持ちで歩き始めたわけですが、何があったのか振り返ってみますと…… 江戸城から延びる川の跡、大名屋敷、江戸総鎮守、幕府の学問機関などです。一見何の脈絡もないものたちですが、よく考えると、いずれも江戸城の存在と関わりが深いものばかりです。

 千代田区の外周をまわる。それはつまり、江戸城の存在を感じるためのウォーキングになっているのではないか⋯⋯ そんな気がするわけです。

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