湿原というと、どこか高い山地のさらなる奥地にあるような、だだっ広い湿地帯というイメージが強い。アクセスが大変で、それゆえに貴重な自然環境が守られている場所だ。

 ところが、初めて愛知県にある葦毛湿原(いもうしつげん)を訪れたときに、そんな先入観は見事にくつがえされた。なにしろ豊橋市という大きな都市の中心街からそう離れていないのだ。したがって、アクセスがいい。住宅地の先にゆるやかな傾斜のついた森があり、その奥に、小さいながらも野趣あふれる湿原が広がっている。こんな別天地があるのかと、当時のぼくは驚いたものだった。

駐車場からわずか15分の“東海のミニ尾瀬”が気持ちいい!

岩崎自然歩道の入口にある長尾池

 豊橋市は東三河地方の中核都市で、その中心地のそばに葦毛湿原がある。同地域には地元で名の知られた名低山・石巻山があり、それを含めた一帯が「石巻山多米県立自然公園(いしまきさんためけんりつしぜんこうえん)」に指定されている。なかでも、葦毛湿原は1992年に愛知県の天然記念物となり、2021年10月11日には国の天然記念物に指定された。もうこれだけで、ただならぬ湿原だということはわかるだろう。

 大きな都市の市街地からそう離れていない場所に、こんなにも静かな湿地帯があるなんて、ちょっと想像ができない。地図で確認してみると、街どころか海までかなり近い。標高の比較的高い山地に広がる霧ヶ峰や苗場山といった場所をイメージしていたものだから、ますます驚かされた。つまり湿原は、高い場所の秘境とは限らないということ。

整備の行き届いた葦毛湿原。そいかしこに珍しい植物が

 葦毛湿原は、田中澄江による「花の百名山」でもあるので、そっち方面からここを知っている読者もいるのではないだろうか。日本の固有種をはじめ、さまざまな珍しい植物に彩られることから、またの名を“東海のミニ尾瀬”と美称される。

 とくに秋のシラタマホシクサは東海地方の限られた地域にしか存在しない植物であり、その群生の様子は、まるで野に敷きつめた星屑のごとし。葦毛湿原の秋の風物詩ともなっており、見ごろは例年9月から10月あたり。

 野鳥が多いのも楽しい。これからの寒い季節なら、ルリビタキを見ることができるかもしれない。深く美しいブルーの羽根と明るいオレンジの体毛が目印だ。個人的にも好きな鳥。

 こうした湿原には木道が設置されていることが多い。自然を観察するための遊歩道でもあり、貴重な植物を守るための仕組みでもある。言うまでもないけれど、木道以外を踏む行為は控えるべし。一度草花を踏むと、再生するまでには時間がかかる。山に与えるインパクトは大きいのだ。