日本には慣用句やことわざが多く存在する。慣用句とは、言いたいことを別の言葉で置き換えた比喩表現のことで、2つ以上の言葉が結びつき、全体で元の単語とは全く異なる意味を表すようになったもの。例えば「顔から火が出る」や「猫の手も借りたい」など。一方ことわざは、日本で古くから使われている教訓や格言のことで、「石の上にも三年」「継続は力なり」などが当てはまる。

 その中でも今回は「山」が使われる慣用句・ことわざを紹介する。

■どっちなの!? 「山の芋鰻となる」「山の芋鰻とならず」

鰻と山の芋……似ている?

 まずは「山の芋鰻となる」「山の芋鰻とならず」の2つのことわざから紹介する。読み方は「やまのいもうなぎとなる」「やまのいもうなぎとならず」。山の芋、つまり山芋が「ウナギになるの? ならないの? どっちなの!?」とツッコミを入れたくなるが、どちらも実在していることわざなのだ。

 「山の芋鰻となる」というのは、「あるはずのないことが現実に起こることがあること」という意味。想像できないような劇的な変化を指す。昔、僧侶が殺生戒(せっしょうかい)を守るために、ウナギのことを「山の芋」と称して焼いて賞味していたことからとする説もある。

 対して「山の芋鰻とならず」は、「どんなに似ていても本質が違えば同じものにはならない。無理なことは無理」という意味だ。山芋とウナギは一見、ヌルヌルしていて似た質感に見えるが、実際にはまったく別物。似て非なるものは結局同じにはならない、という戒めでもある。

 語尾ひとつで意味が逆転するこの2つ、使い分けを間違えるととんだ恥をかくかも!?

■「ヤマを張る」って、実は職業の話!?

何の職業と関係するのだろうか 

 次は慣用句の「ヤマを張る」。「的中することを期待して物事を行うこと」のたとえである。

 実は「ヤマ」は漢字の「山」で、鉱山のこと。鉱山で鉱脈を掘り当てる仕事は大きな賭けであったことから転じて、万一の幸運を当てにすることを指す。「山を掛ける」ともいう。

 現代の鉱脈の探し方は、航空写真や地中レーダー、AIといった、科学とテクノロジーを駆使して行われる。そのため安全性も高い。

 しかし昔の鉱脈の探し方は、地質の知識と経験が頼りで、カン(直感)や過去の事例に基づいていた。人力中心で、過酷で危険な作業であった。

 「テストに出そうなところに山を張る」「競馬で山を張る」のような使い方をする。日常の「山を張る」にも、こうした命がけの現場の背景があると思うと、ちょっと重みが違って聞こえる。