山間の秘境に少女のバイオリンの音が響く。協奏音は円原川のせせらぎと鳥の声。造成中のツリーテラスには手すりとベンチが設置され、ようやくサウナ村の“村民”たちがくつろげる状態にまで整備が進んだ。
しかし、ここはかつて雑木と倒木と杉枝が散乱した、誰も足を踏み入れないような荒地だった。そんな場所に「サウナ村を作る!」と誓ってから6か月。開拓当時のことを思い出しながら、僕はちょっぴり感傷的になりながらバイオリンの音に耳を傾けていた。
◼︎絶望から始まったサウナ村の場所選び
1年前の僕は希望に満ち溢れていた。今の場所より数km下流で試験運営していた『神崎川サウナ』が好調で、僕自身「ここが日本一の川サウナだ!」と自信を持って準備を進めていた。
その頃は、事業計画を練り直し、仲間たちとともに徹底的にサウナスタイルもブラッシュアップし、ホームページの制作も始まり、2024年4月の本オープンに向けて、全リソースをフルベットして必死で頑張っていた時期だった。
その矢先の2024年2月末。本オープンまで1か月ちょっとという段階で、突然神崎川サウナが閉場に追い込まれ、場所も使えなくなってしまったのだ。もう今更理由はつらつらと書かないが、予期していなかったトラブルが原因だった。
神崎川サウナに数年の歳月と全情熱を注いでいた僕は、とてつもない精神的ショックを受けた。何もやる気が起きず、何も考えられず、そこから1か月は廃人のように寝込んでしまった。ずっと天井を見つめながら、大好きだった神崎川の風景や、支えてくれた地域の人やサウナ仲間、「絶対また来ます!」と言ってくれたお客さん、そして家族の顔を思い出しては、勝手に涙が溢れて止まらなかった。
そんな時、無意識的に向かったのが、神崎川の支流「円原川(えんばらがわ)」だった。この川は人の心を癒す“無条件的な何か”がある川で、辛いことがあったり、自分を見失った時に、ただそこでぼーっと過ごしていれば自分を真ん中に戻すことができる場所だったのだ。
やがて少しずつ気力を回復させた僕は、「一度は死んだ身。もう失うものは何もない。一番好きな場所で、唯一無二の川サウナを作る!」と、円原川での新たな場所選びを開始したのである。まさに0からのスタートだった。
◼︎簡単ではない円原川での場所選び
円原川は神崎川よりもはるかに水質が良く、その苔むした独特な雰囲気は、映画『もののけ姫』を連想させるような素敵な世界だ。しかし、そんな神秘の秘境だから故の、サウナ村の場所探しには4つの高いハードルが存在していた。
A:広く平らな場所や川原がほぼ存在しない
B:川っぺりの放置された杉林は荒れ放題で侵入困難
C:土地の境界も曖昧で所有者を探すのが難しい
D:水風呂に最適な緩やかな流れと深さがある区間が少ない
僕は円原川沿いをくまなく踏査したが、予想通りそれは困難な作業(というかそんな場所は皆無)だった。そこでまずは、AとBの条件をギリギリ満たしつつ、まずは「川風呂としてここだったら絶対的に最高のものができる!」というDの要件を満たす場所をいくつか絞り込んだ。そして、そこからCの土地の所有者探しが始まったのである。
まずは法務局へ行き、地番を探すことから始めた。山地なので特定の場所の地番を探し出すのは難しい作業だ。曖昧な地図からそれらしい場所の地番をいくつか洗い出し、そのすべての登記簿謄本(登記事項証明書)を取得した。数が多いので、それだけで結構なお金もかかった。
登記簿謄本の情報を頼りに土地の所有者を探すわけだが、複数の所有者がいたり、情報がわずかで連絡先がわからない。正直その人が生きてるのかすらわからないし、探し出す作業はもはや探偵のようだった。わずかなキーワードをもとに、ネットも駆使して連絡が取れたところにわざわざ出向いてみても、対象の土地の所有者じゃなくて肩を落として帰ったこともあった。
そんな中、行政書士さんの力まで借りて調べた土地の所有者が、なんと一緒に地域で活動をしていたカフェオーナーのKさんだったことが判明した。Kさん自身も「あそこ、うちの土地だったの!?」とビックリしていたくらいで、それだけ山間地の土地の所有問題は複雑なのだ。でも、僕の思いを知ってくれている仲間の土地だったことで、交渉してついに候補地だけは1つに絞り込むことができたのである。