■握り拳大のヒョウが叩きつけるアルプスのゲリラ豪雨に遭遇

 山の天気は変わりやすい、とは知ってはいたが、ここまで劇的な天候の急変を体験したのは初めてだった。セルヴァ湖を慌ただしく後にし、だんだんと分厚くなってくる黒い雲を見上げながら早足で山小屋を目指す。

 標高2,000mを超えて少しづつ大きな木がなくなっていき、岩場や洞窟もすっかり姿を消したところでものすごい雷鳴が響き渡った。頭のすぐ上で鳴っているような音に思わず体がすくむ。これはまずい。どこか身を隠す岩陰はないか、と周囲を見渡したものの、隠れられそうな場所はどこにもなく、緑の野原が広がっているのみ。そうこうしているうちに、今度は猛烈な豪雨になり、ポンチョを着るまでのわずかな時間に突然握り拳大のヒョウが腕を叩きつけてきた。こんなのが頭を直撃したら気絶してしまう、とリュックで頭を保護し、近くにあった低木の下に身を折るようにしてかがみ込んだ。早く過ぎ去って欲しい、という願いとは裏腹に、今度はかがみ込んだ低木のすぐ脇を流れる小川が川幅を広げ、まるで滝のような大量の水が流れ出してきた。

 文字通り生きた心地がしない時間を15分から20分ほど過ごしただろうか。ヒョウが止んだのを機に、思い切って土砂降りの中を歩き出した。ここでしゃがんでいても仕方がない。とにかく一歩でも山小屋に近づきたい一心で足を進めた。

 滝のような雨に目の前を遮られ、右も左もわからない状況でひたすら足元の道らしき場所を見つめながら2時間以上歩いただろうか。ようやく山小屋の影が見えた時は、思わず「助かった!」と声が出た。こんな土砂降りの中を歩いてくる登山客はもういないと思ったのか、山小屋の扉はしっかり鍵がかかっていた。絶望的な気分でノックをし続けていると、ようやく扉が開いた。

 「おやまぁ! 滝壺にでも落ちたんかい?」と笑いながら山小屋のご主人が迎え入れてくれた直後、全身から力が抜けた。と同時にどうやら雨も止んだようだった。運悪く豪雨のピーク時に山歩きをする羽目に陥ったようだったが、とにかく危機を脱したことが何より大事。その夜、山小屋で食べたあったかい猪の煮込み肉の味は、生涯忘れられないものになった。