■より山での時間をゆっくり味わってほしい

マッサマンカレーの仕込み中の高橋くん

 素泊まりにしてよかったこともあった。自分で食料を背負い、小屋に頼らず自炊をする自己完結型の登山者の方が増えたのだ。彼らは到着も早く、日没後に到着する方は1年目よりも格段に減った。

 また、食事提供をしないため、今まで仕込みに使っていた時間を小屋周辺の環境整備に使うことができた。登山者の皆さんの過ごし方をみても、小屋の時間に合わせる必要がないので(例えば、食事の配膳の準備をするので食堂を空けてほしいとか、もう少し外にいたいのに夕食の時間だから小屋に戻らないといけないとか)、ゆったりと自分のペースで過ごせているように見えた。

 小屋の時間に縛られない自由な過ごし方ができるので、素泊まりもそれはそれでいいな〜と発見があったのだった。山のいい時間と食事の時間がかぶるのは(朝日や夕日を外で見たい時間に食事だったり)、山小屋あるあるですよね。

 少し話は変わるが、山で過ごしている時と街にいる私の時の流れは違う気がしている。時間も私もどこにいても変わらないはずだけど、不思議なことだ。山での時の流れはゆっくりなのかな。だから下山の時期になると、ああもう4か月も経ったのか、と恐ろしくもなる。

 こうして振り返ってみると、山で過ごしている時と街にいる私の時の流れは違う気がしている。時間も私もどこにいても変わらないはずだけど、不思議なことだ。山では自然のリズムで生活しているからだろうか。時間の流れがゆっくりだ。陽が出ている間にあれこれ作業する。寝具を干していても、湿った空気が上がってくる前にさっと取り込んだりね。

 また、日々の情報量も少なく(ちなみに電波も然り)、シンプルなライフラインの中で生活している。小屋を訪れる登山者の皆さんも、日々のことは麓に置いてきているような気がする。町と山の時間軸が違うと感じるのは、そういうことも理由なのかな。

 久しぶりに下山すると浦島太郎が竜宮城から帰ってきたような気分だが、しばらく経つと街での生活にもすっかり慣れてしまうのだけどね。