■中之島の近代建築と淀屋屋敷跡

 大阪高裁の前の「水晶橋(すいしょうばし)」というオシャレな名前の橋を渡り、ふたたび中之島へ。中央公会堂に隣接するのが「大阪府立中之島図書館」である。

大阪府立中之島図書館の正面入り口

 モダンな建物が建てられたのは1904年。住友家第15代吉左衛門の寄付によるものだ。

 中之島図書館の向かいが大阪市役所。

大阪市役所正面

 市役所と向かい合うのが日本銀行大阪支店だ。

日本銀行大阪支店の旧館正面

 日本銀行の建物は、1903年の建築。設計は、日本銀行本店や東京駅丸の内駅舎などを手がけた辰野金吾である。

 市役所と日本銀行の南に架けられているのが淀屋橋で、橋から西の土佐堀川沿いには「淀屋屋敷跡」のモニュメントが立っている。

 淀屋橋は、豪商だった淀屋が私費でかけたものだ。

 「浪速八百八橋(なにわはっぴゃくやばし)」ともいわれるが、正確には約200橋ほどしかなく、300橋以上あった江戸のほうが多い。ただ、江戸は幕府がかけた公儀橋(こうぎばし)がほとんどだったのに対し、大坂の公儀橋はわずか12。そのほかの橋は、すべて民間によるものだ。

 「ケチ」「がめつい」「銭勘定に細かい」と揶揄される大坂商人だが、「世のため、人のため」には大金を惜しまない。それこそが、大坂の「商人(あきんど)根性」なのである。

つづく