■友人とはぐれ、途絶える連絡

雨の登山道。視界が悪く、数m先が見えないこともある(撮影・穂高カレン)

 山小屋では、同じように夕立に打たれた人、雨宿りをする人などで混雑していた。全身ずぶ濡れで、必死の形相で戻ってきた私たちに長野県警山岳遭難救助隊員の2人が声をかけてくれる。「ほかに登山者はいませんでしたか?」。友人1人とはぐれたことを伝えると、携帯電話で連絡を取るように言われた。5コール待つが「ただいま近くにおりません」の音声アナウンスが流れるだけだった。祈る思いで3回ほど掛け直し、やっとつながった。

 「山頂付近にある岩陰にとどまっている。雨が止むのを待つつもりだ」と電話の向こうで話す友人。落雷の危険があるこの状況では、救助隊も助けには行けないという。救助隊員の隣で助言を受けながら、避難する方法を電話越しで友人に伝える。「あと1時間は降るかもしれないって」「岩には雷が落ちる危険があるから、岩からは離れて」「低い姿勢でハイマツに身を隠した方がいいって」。とぎれとぎれになる電話に声を張った。

 その時、これまで「ザー」だった大雨の音が突然、「バラバラバラバラ」に変わった。これまでとは違う固形物の音。あたり一帯に雹(ひょう)が降っていた。

 山小屋の軒下に立って登山道を見守っていた私たちにも雹が降り、風であおられて身体に当たると痛い。登山道には隠れるところもないはずだ。友人を心配する気持ちと不安が大きくなった。10分おきに電話をすると「こっちも雹が降っている」と友人。避難と安全を第一に、電話ができる状況になったら折り返し電話してほしいと伝えていたが「身体が冷えて低体温症になりそう」との言葉を最後に、連絡が途絶えてしまった。友人の家族や幼い子どもの顔が脳裏に浮かぶ。「家族になんて説明すればいいのか。あの時、山頂に向かおうなんて考えなければよかった」。着信の来ないスマホを見つめながら激しく後悔したが、相手の避難と安全確保の邪魔になるほど頻繁に電話もできず、私にできることは何もなかった。

 降り始めから1時間半後に夕立は止み、午後6時過ぎ、友人は凍えながら山小屋へ戻ってきた。唇は青ざめ、顔色は悪い。「生きた心地がしなかった」と何度もつぶやいていた。

夕立の雨雲に覆われたテント場(撮影・穂高カレン)

■山岳遭難救助隊に叱責された反省点

積乱雲に包まれた槍ヶ岳。雲の動きを注視することが欠かせない(撮影・穂高カレン)

 テント場に置いていたテントは、入口をメッシュ(網戸)の状態にしていたため、中に雨が入り込み、シュラフも荷物も完全に濡れてしまっていた。運よく山小屋に空きがあり、小屋に泊めてもらうことにした。
山岳遭難救助隊員からは「なんで午後4時になって出発したのか。その段階で積乱雲は見えていたはずだ」と厳しく叱責された。天候の確認を怠っていたから当然だ。さらに「夕立のリスクがあるのに山の稜線を歩くなんて、高速道路を素足で歩くようなものだ」とひどくお叱りを受けた。午後4時ごろには山の一部に積乱雲が迫っており、夕立は明らかに予測できたという。山小屋でも注意喚起していたそうだ。

 初めての北アルプスの絶景に浮かれ、山の天気は急変するという基本的なことに鈍感だったと猛省した。こまめな天候の確認や、夕方以降の行動を控えるといった基本も怠っていた。

 夏山では、午後の遅い時間には雷に遭遇するリスクが高まる。長野県警は「早朝から午前中の早い時間に行動し、午後は早い時間に行動を終える『早出早着(はやではやちゃく)』を心がけてほしい」と呼び掛けている。短い距離でも甘く見ない、夏の夕立や雲の動きを知っておく、夏場は早い時間に行動を終えるという基本的なことがこの時の筆者には欠けていた。

 登山の鉄則は「無事に家に帰ること」だという言葉の重みを、まさに痛感した。夏山は澄んでいて植物が美しく、限りなく魅力的だ。しかし、夏山で積乱雲が見られるときは、夕立のリスクや落雷の危険性があることを忘れないでいてほしい。筆者の手痛い失敗と恐怖体験が、少しでも誰かの身を守る行動につながればと願ってやまない。

夕立の後、先ほどの雷雨が嘘のように穏やかな夕日が見えた(撮影・穂高カレン)

【参考サイト】
●長野県警・山岳遭難救助活動・啓発活動
https://www.pref.nagano.lg.jp/police/sangaku/movie/sounankyujo.html
●長野県警・山岳遭難救助隊からのお願い
https://www.pref.nagano.lg.jp/police/sangaku/documents/r5natuyama-onagai.pdf