NHK番組「ブラタモリ」の人気を受け、大地のなりたちを知り、それらに育まれた自然・文化・食などを楽しむ旅「ジオツーリズム」が一般化しつつある。そして、拠点として注目を集めるのが「ジオパーク」だ。地球・大地(Geo)の公園(Park)の名の通り、大地のなりたちとそこに暮らす人々との関わりを実感できる。

 今回は、日本ジオパークに今年1月に仲間入りし、夏の北海道旅行でも人気の「富良野・美瑛」エリア「十勝岳ジオパーク」にスポットライトをあてる。美しい風景や景観の背景にある火山との共生の歴史を解き明かし、ジオパークの魅力を探っていこう。

■「十勝岳ジオパーク」火山との共生の歴史

美しい丘の風景が「十勝岳ジオパーク」の魅力のひとつ(画像提供:十勝岳ジオパーク推進協議会)

 「富良野・美瑛」と言えば、畑が織りなすパッチワークのような美しい丘の風景。「波状丘陵」と呼ばれ、約200万年前と約125万年前の火山噴火による火砕流堆積物がもとになっている。その後、長年の凍結と融解を繰り返し堆積物が削られ、なだらかな丘が形成された。

 樹木が生い茂るこの地の開拓がはじまったのは、明治期。火山の堆積物でできた大地を、馬と人の力だけで切り拓いた開拓民の苦労は計り知れない。うねうねと波打つ「波状丘陵」の地形と人々の営みが、現在の美しい丘の風景を形づくっているのだ。

昭和63年〜平成元年の噴火(画像提供:気象庁)

 美しい丘の街から仰ぎみる、雄大な「十勝岳」の存在も忘れてはいけない。十勝岳連峰は、約100万年前からの火山活動で形成された。過去150年の間に5回の大きな噴火記録があり、現在も噴気活動のつづく活火山。その中腹や麓にある「十勝岳温泉」、「びえい白金温泉」といった温泉街も、このエリアの魅力のひとつだ。

大正15(1926)年の十勝岳噴火で発生した泥流の被害(画像提供:上富良野町郷土館)

 「十勝岳」の過去5回の大規模噴火のなかでも、大正15(1926)年5月の噴火では融雪型泥流により麓の街は大きな被害を受けた。上富良野町では、多くの死者を出しただけでなく、耕作地が泥流に覆われ人々は再び開拓を余儀なくされた。

 映画化が予定されている三浦綾子の小説「泥流地帯」には、当時の暮らし、噴火や復興の様子が克明に描かれている。このような二度にわたる開拓の歴史が、現在の美しい景観や豊かな大地の恵みの背景にあることを忘れてはいけないだろう。