藤や桐の花の咲く頃、ほのかで上品な香りが谷間に漂う。渓流釣り、フライフィッシングに夢中な人間にとって、初夏はとくに忙しい。水温や水生昆虫の羽化など、要因は様々でひと言では言えないが、マス族(トラウト)たちの活動が盛んになるからだ。
この時期どの川に足を運ぶのかは大いに悩む。天候だけでなく、水量や濁りなどの川のコンディションが気になって仕方がない日々だ。仕事のスケジュールも可能な限り、いや、チャンスを逃さないために全力で調整するのをモットーにしている。そんな筆者を、春から初夏にかけて夢中にさせているポイントがある。
■期待の雪代明け! 大物狙いの夢
雪代前、はたまた雪代が収まった頃合いで足繁く通う川がある。長野県の最北端、栄村と新潟県津南町の境界、志久見川だ。このタイミングで本流にあたる千曲川(信濃川)から遡上する大物のヤマメやイワナの釣果を聞くことが多く、一度は釣ってみたいと夢を膨らませているのだ。
ただ、自宅から高速を使って1時間半、近いような遠いような微妙な距離。コンディションを当てるのがめっぽう難しく、春先は雪代の大濁り、雨後は増水が著しく竿を出すことなく退散することが多い。
1日中釣りをして1〜2回アタリがあるかないか。実際、それっぽい魚(大物)を何度かハリにかけてはいるのだが、僕の技量不足でいまだにネットに入れることは叶っていない……。
■貸し切り! 県境の深い渓
千曲川に注ぎ込む下流部の両岸は、民家と田畑が連なる里川的ロケーション。しかし、この辺りの特徴でもある地形、河岸段丘のために川は深い谷底に流れている。そのため入退渓できる場所はかなり限定され、一度河原に降りるとかなり長い距離を歩くか、相当な急斜面の薮を漕ぐ必要がある。その分、釣り人に出会うことは少なく、渓相にはかなりの秘境の感がある。
貸し切り状態の渓で、気兼ねなく自由にロッドを振ることができるのは魅力的だ。正直魚影は薄く、数釣りをしたいのなら向いていない。滅多に出会えないようないい魚が釣れるかも! という期待だけで通っているつもりだった。
ちなみに上流部へ行くと川との高低差は少なくなるが、遡上を妨げる人工物があったり、釣り人が多くなるために趣に欠ける感じがして滅多に行くことはない。
■乱舞するメイフライ! 狂喜するイワナたち
この日も午前中に大物のアタリを逃してからは、25cm前後のイワナを数匹釣ったのみで、あっという間に夕方になっていた。期待を込め、大物が潜む雰囲気が濃厚なポイントをみっちり攻めるが、まるで反応がない。ふと、ひとつ下流の流れ込みに目をやると、ポツリポツリとライズ(水面付近での捕食行動)が始まっていた。
スレていないイワナ相手だとタカを括ってフライを流すと、反応しなかったり、出てもフッキングしない。すっかり本気モードになってフライをチョイスし、丁寧に流すとようやく食いついた! 強めの4番ロッドでも“のされ”気味の強烈なパワーで、対岸、さらに下流へ走っていく! 予想外の大物の引きだ! ティペット(ハリス)を6.5Xにしていたので、切られないか心配になってくる。倒木の下へと逃げ込まれそうになったので、半ば強引にストップさせて力技で寄せてきた。
どんな大物かとかなり興奮させられたが、いざ寄せてみればサイズは尺に届かない程度だった。けれど、おそろしく太い魚体で尾ビレも発達しており、強烈なファイトも納得のプロポーションだ。写真を撮っている途中で元気よく暴れ、あっという間に流れに消えていった。
ふと目を上げるとあたりはメイフライ(主にエルモンヒラタカゲロウ)たちの饗宴で、呼吸するだけで吸い込みそうなほど! ライズ祭りも本格化していたが、本物の中から偽物(フライ)を選ばせることができないせいなのか。思うようには釣れてくれない。あたりはすっかり暗くなっていた。