思わず「うわっ」と感嘆の声が漏れてしまう。

 どこまでもクリアでどこまでもブルーな透明感に満ちた清絶な世界。それは、もはや水の宝石だった。長いあいだ人の侵入を拒み続け、自然本来の姿を維持し続けたことで生き残った奇跡の光景が、そこには展開していた。神様というものがどこかにいるのなら、きっとこういう場所に住んでいるんだろうなと思わせてくれる神秘的な美しさだ。

 仁淀ブルーの青さの理由は諸説ある。珪藻類の水中物質による光の反射といわれていたり、水に含まれるシルト(砂より小さく粘土より粗い粒子)と水底の岩石による光の反射だともいわれている。でもそんな科学的なことはもはやどうでもいい。仁淀ブルーだけにブルース・リー的に言わせてもらうと、「Don't think! Feeeel!(考えるな!感じろ!)」でいいのである。

世界よ、これがニッポンの川だ

 距離にしたら、たったの2kmほどの川下り。しかし感動の尺度は距離ではなくロマンの濃度だ。情報のない川を、自分の知識や経験をフル動員して下る充実感。そして、その先に発見する奇跡的な光景。これこそ探検的な川旅の醍醐味なのである。

■人との出会いが旅を豊かにする

 短い区間だったので、パックラフト一式を担いでスタート地点に戻る。このあたりはかつて安居銅山が栄えており、鉱山の近くには鉱山労働者や、その家族による集落が形成されていた(鉱山自体は太平洋戦争の頃に廃坑)。秘境ではあるが、この地では今でも人々の生活が息づいている。

釣り少年と老人師匠。こういう光景がたまらなく好き

 途中、人がいたので挨拶をしたら、「え? この川下って来たの? そんな人初めてだぁ」としきりに感心してくれた。そして「おーい。カヌーの人がやってきたぞ」となり、家の中から次々と人が現れて「まあ、お茶でも飲んで行きなさい」といった事態に。やがてお菓子まで出てきて、すっかり談笑。地元の話や川の話を聞いていると、子供たちがイモリを穫りに行くといい出し、なぜか僕も一緒になって家族総出で裏山へ行った。

川だけじゃなく、ここに暮らす人々も皆美しかった

 なんだか自分の田舎に帰ってきたみたいな気持ちになって、たまらなく素敵なひとときだった。歩いて戻ってなければ、この出会いはなかった。こういう地元の人との出会いがあると、旅の充実度は一気に光り輝いたものになる。

 これぞ川旅。これにて「小舟漕ぎしかの安居川」は、勝手に僕の心の中でふるさとの川となった。