ネパールに移住しようと思い立ったものの、具体的なことはまだなにひとつ決まっていなかった。思うのは自由で容易い。
先日、アメリカの野球殿堂入りしたイチロー氏が、「夢は楽しいが、目標は困難で挑戦的だ。それを達成するために何が必要かをしっかり考えなければならない」と言っていたが、この時の僕にとっての“ネパール移住”は、まだ目標ではなく、夢に近いものだった。
◼️「3年後に会社を辞めます」宣言

まずは、いつ移住するのか? これが簡単には決められなかった。明確なリミットがあったわけでもなく、元々の人生設計にネパール移住と書き込んでいたわけでもない。ただ、ネパールを理解するためにネパールで生活がしたい、という強い思いだけがあった。
漠然と「5年後くらいに」とか言っていると、その5年後が一生こないかもしれない。この時の僕は、すでに40代半ば。5年先なんて遠すぎる。健康でいられる保証もないし、そもそも、そのとき生きているかどうかすらわからない。

具体的な一歩を踏み出さなくては。そう思って、勤めていた会社の社長に話をしにいった。
「3年後に会社を辞めたいと思っています」
もちろん、「よし、わかった!」と即答されたわけではない。休暇がほしいとかならまだしも、辞意だったのだから、さすがに社長も驚いたようだ。最初は、働き方を変えて続ける方法はないか、といった代替案の話になった。
当時の仕事は、会社にとっても社会にとっても、そして自分にとっても意義のあるものだった。同時に、それは片手間でできるものではなく、生活の中で最優先にするくらいの覚悟が求められる仕事でもあった。そんな仕事と、僕が望んでいるネパールでの生活との両立はどう考えても難しい。僕は、ネパールでの暮らしを最優先にしたかった。
そこから数か月をかけて社長と何度もやりとりを重ね、自分の思いや生き方を丁寧に伝えた。最終的には納得してもらい、3年後に辞めることで合意に至った。
“3年後”としたのは、まだやり残したことがいくつかあったし、それをやりきったうえで動くのが、自分にも会社にもいいと思ったからだ。3年という期間が妥当だったのかどうかは正直わからない。けれど、この3年にあわせて準備を進められたことを思えば、結果的にはちょうどよかった気がしている。
こうして、ネパールに住むという思いは、年々、少しずつだが現実に近づいていった。会社を辞めると宣言した当初はまだ予告のようなものだったが、時が経つにつれ、自分の中の空気が確実に変わっていったのを覚えている。