■一見不思議な片土塁のワケは……
奥の円形曲輪へ足を踏み入れる。一見行き止まりのように見えたのだが、幅の狭いスロープ状の道を発見。手がかりになりそうな木もあちこちに生え、なんとか降りていけそうだ。

下りきった先は、なかなかの大堀切だった。見事。

堀切は円形曲輪の南西。さらに西へ折れるように尾根が続いている。登ってみると、段々に曲輪が連なっている。ふと、南側だけ盛り上がっているのに気づく。土塁のようだ。でも片側だけなぜ?


土塁の外を見て納得。この段曲輪、谷状の地形を見下ろす位置にあったのだ。

この谷間にも堀切があり、その中央を土橋が渡されていた。すぐ脇には大小様々な石が転がっている。何かの遺構のような気もするが、よくわからず。

この部分が、松山城の「扇の要」だったことがよくわかる。土橋の向こうには、出丸・桜丸がある。と、その前に。
※土塁(どるい):土を盛って土手状にした構造。曲輪の外周部に多い
※土橋(どばし):両脇を削り幅を狭め、一度に大勢が通れなくした堤状の橋。堀切に設けられることもある
■畝状竪堀を探しに寄り道
はやる気持ちを押さえ、主郭の東側へと足を延ばす。自分の城攻めスタイルは、すみずみまでくまなく派。主郭のみ、あるいは主要遺構のみを攻めるタイプの人に比べると時間もかかる。時には想定外の驚きが待っていることもあるし、くまなく巡ることが城に対する義理のような気もする。といいつつも、見落としがないわけではないし、ヤブコギや無茶な直登はしない派なのだが。
主郭の東へ足を運んだのは、そこに畝状竪堀(うねじょうたてほり)が待っているから。だがそれよりも、この城の徹底した切岸加工に度肝を抜かれた。


最初に見た切岸もインパクト大だったが、それ以外の側面もスゴイ。そして切岸の上端からかなり下部に、目指す畝状竪堀はあった。

頭上に切岸、眼下に畝状竪堀。満足した気持ちで、出丸を目指すことに。先ほどの土橋のある堀切まで引き返した。

(後編に続く)
●【MAP】松山城(島根県江津市)