晴れ間が続いた5月の後半、八ヶ岳に出かけてきた。本沢温泉にテントを張って、その周辺の山々を歩こうという企画だ。
もうすっかり雪はなくなっていたものの空気はとても冷たくて、朝晩は化繊の保温着を身にまとう寒さ。標高2,500mを超える稜線に出るやいなや風が強く、フードを丸かぶりしたほどだった。休憩した根石岳山荘の薪ストーブの暖かさに、山の上はまだ冬なのだと気を引き締める。
とはいえ、梅雨入りはもう少し先であり、日中の樹林帯なら新緑の季節らしい爽快な気分で歩くことができるのが、今の時期の山歩きの良いところ。硫黄岳を見上げながら「雲上の湯」に浸かるにも、ちょうどよい気温だ。この源泉を味わうのは、じつに10年ぶりのことだった。
その本沢温泉で、ちょっと早咲きかなと思われるミツバオウレンを見かけた。八ヶ岳を代表する高山植物のひとつで、これまた八ヶ岳を代表するオーレン小屋の名の由来にもなっている花である。梅雨にかけたこれからの季節は、このミツバオウレンが北八ヶ岳を歩くハイカーの足下を彩る。とくに白駒の池とニュウの周辺に広がる亜高山帯の樹林では、緑のコケの中に白く可憐な姿をしたミツバオウレンをたくさん発見することができるのだ。
■原生林が魅力の北八ヶ岳。コケ生す極上の散策路
八ヶ岳は南北に30kmも連なる大きな連峰である。いくつものピークを擁し、すそ野は東西南北に広い。一般に、夏沢峠を境として北八ヶ岳と南八ヶ岳に区別されることが多く、前者は原生林の優しい雰囲気、後者は荒々しい岩稜の雰囲気が、それぞれの山域の特徴だ。
白駒の池は、北八ヶ岳らしい特徴を存分に楽しめる場所のひとつ。池の周辺に限れば、少々の雨くらいは気にせず歩けるのもよい。かえって樹林が瑞々しくなり、晴れの日とは異なる自然の世界に魅了されることだろう。もちろん雨露で濡れた木道は滑りやすくなるから、通常の山歩きと同様に、それに応じた注意と装備は必要となる。
日本国内には1800種類におよぶコケがあるそうで、八ヶ岳にはその4分の1以上が自生している。樹木の幹を覆うタイプをはじめ、岩、倒木、水辺、地面などなど、山のいたるところにあらゆるタイプのコケがあるのだ。岩の下や樹木の根の暗所でぼんやりと光るヒカリゴケもある。
白駒の池が美しいのは間違いないけれど、この一帯の真骨頂は池の周辺に点在する森の中にある。それらは「白駒の森」、「もののけの森」、「ニュウの森」、「ヤマネの森」といった具合に名付けられており、ハイカーたちを迎えてくれる。とにかく癒される森なのだ。
そんな中、白駒の池周辺の散策路でたくさんのミツバオウレンを見かけることができる。湿地を好む性質なので、水辺はぴったりの環境なのだろう。ほかの場所ならうっかり見過ごしてしまうほどの小さな花だけれど、濃密なコケの世界においては、グリーンと白のコントラストが眩しく感じられるくらいに花が際立っている。