■天王山の歴史
天王山は、一番の勝負どころを表す代名詞「天王山」という表現の発祥の地である。豊臣秀吉が、本能寺の変というクーデターの首謀者・明智光秀と戦ったのが天王山。この戦いで明智光秀は敗れ、豊臣秀吉は天下人となった。ゆえにこの戦いは「天下分け目の天王山の戦い」と呼ばれているのである。
筆者は個人的に丹波が好きで、丹波の山に登ることが多い。しかし丹波の山で出会う城跡は、ほぼもれなく明智光秀の丹波攻めで廃城になった城だ。さらに訪れる丹波の古刹は、たいてい明智光秀に丸焼きにされた歴史がある。
なかには焼き討ちされ山に埋もれ、古刹だったという記録はあるものの。もはや寺名すらわからない寺院もあるほどだ。
いくら織田信長の命令だったとはいえ、こうした明智光秀の丹波攻めに対してあまりよい感じはしない。そのため筆者はこの天王山に来ると、少し溜飲(りゅういん)が下がる。
天王山登山道には天王山の戦いを解説する美しい陶板画があり、歴史を学びつつ登山ができる。陶板画の原画は、日本画家の「岩井弘」氏が屏風絵(びょうぶえ)として描いたもの。文章は小説家、評論家としても有名な「堺屋太一」氏だ。
ところで天王山は、幕末にも天下分け目の事件が起きている。「禁門の変」において、長州藩の残党17名がここ天王山で会津藩と新選組の連合軍と激突し、全滅した事件だ。
この禁門の変をきっかけに、第一次長州征討、第二次長州征討が行われ、徳川幕府は長州藩に大敗。禁門の変の3年後には大政奉還によって解体されていることから、幕末の天王山の戦いも、天下分け目の事件だったと言えよう。
■天王山登山
天王山は壮絶な歴史とは裏腹に、現在はのんびりとしたハイキングコースになっている。一部傾斜のきつい坂道もあるが、全体的に難易度はかなり低い。
天王山七合目付近の旗立松展望台からは、天王山の戦いで豊臣秀吉と明智光秀の両軍が布陣していた古戦場や桂川・宇治川・木津川が合流し淀川になる三川合流地帯を見渡せる。そして、その景色は「京都の自然二百選」にも選ばれている。
天王山山頂には山崎城跡がある。戦国時代末期の山城だからかもしれないが、丹波でよく見られる戦国時代の山城と比較すると、数倍以上規模が大きい。さすが天下分け目の天王山である。城跡には井戸の跡も残っており、当時を想像するとワクワクする。
なお、天王山山頂の眺望はよくない。しかし山頂、つまり城跡は開放感のある雰囲気のよい場所で、なにより戦国ロマンで気分が高揚するので、眺望は気にならない。また登山道に眺望がよいスポットもいくつかあるので、心配は無用だ。
●天王山登山口
・住所:〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎白味才40
●青木葉谷展望広場
・住所:〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町
●旗立松展望台
・住所:〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎
・URL:https://oyamazaki.info/archives/1239
●十七烈士の墓
・住所:〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王山
・URL:https://oyamazaki.info/archives/180
●三社宮
・住所:〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王山
●自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)通称:酒解神社(さかとけじんじゃ)
・住所:〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王山46
・URL:https://oyamazaki.info/archives/741
●天王山(山崎城跡)
・住所:〒618-0071 京都府乙訓郡大山崎町大山崎古城
・URL:https://oyamazaki.info/archives/1265
・URL:https://oyamazaki.info/archives/1342
■天王山への行き方
天王山へ登るルートはいくつかあるのだが、山崎聖天からの登山道がおすすめ。理由は2つある。
1つ目は、JR山崎駅・阪急大山崎駅から登山口までは650m、徒歩10分弱で交通の便が抜群によい。また、山崎聖天境内から天王山登山道につながっているのもよい。2つ目は、山崎聖天がとにかく美しいおすすめ立ち寄りスポットとなるからだ。
手軽で交通の便がよい天王山で、美しい景色と歴史を感じながら、登山を楽しんでみてはいかがだろうか。