■予期せぬ素晴らしい光景を目の当たりに!
殺伐とした雰囲気のグレーの風景の中をしばらく行くと、突然チョロチョロと流れる川が現れた。アルプスの山頂からの雪解け水は、どこまでも透明で氷のように冷たい。月にいるような気分に浸っていたので、水の存在がひときわありがたく感じる。さらに先へ進むと、想像もしていなかった景色が待っていた。雪解け水でできた小さな湖の湖面に、マッターホルン山頂が映り込み、「逆さマッターホルン」ができていたのだ。こうして間近で湖面に映る山頂を見ると、改めてその巨大さが実感できる。ほんの数分前まで、グレーの砂利道しか見えていなかった目に、その姿は文字通り光輝いて見える。予期せぬ素晴らしい光景を目の当たりに、しばしの感動を味わいながら水辺にたたずんだ。
湖面に輝く山頂を目の当たりにしたお陰で気分も一新、歩調が再び軽くなった。山小屋まであと一息というところまで来て、いよいよ最後の登り坂に入った。坂の頂上がすぐそこに見えている。あの先には、山小屋があるのみ。そうわかっているのに、いざ登り始めると足が全く前に進まない。というか、足を踏み出しているのに、距離が全然縮んでいないように感じるのだ。
3,200mを超え、酸素がだいぶ少なくなってきているらしく、一歩一歩踏み出すのがしんどい。体は重く、歩幅は頭で考えているよりもかなり小さいようで、坂は目で見ているより急に感じる。周りを見ると、誰も彼も似たような状態らしく、マウンテンバイクを押しながら登っていくハイカーは息も切れ切れ、という感じだった。低地なら10分もかからずに登れるような坂道を、40分近くかけて登り切った。途中、どうなることかと冷や汗が出たが、坂の頂上に『Welcome to Switzerland!』という横断幕を見つけた時は清々しい達成感に満たされた。
目的の山小屋「テオデュール」のテーブルに着くと、やっと「たどり着いたんだ」という実感が湧いてきた。周囲の氷河の景色に見惚れつつ、しばし新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む幸せに浸る。ようやく人心地がつくと、途端にお腹が鳴り出した。今回の目的が「絶景を眺めながら山小屋ランチを楽しむこと」だったということを、その時になって思い出した。
メニューを見ると、どれもこれも美味しそうな料理ばかり。あの坂を登ってきた今なら、どれほどカロリーの高い料理でも平気で食べられる。イタリアのアルプス料理の定番、鹿肉のシチューとポレンタを平らげ、デザートには生クリームたっぷりのチョコレートケーキ、仕上げにアルコール度40度のリキュール「ジェネピー」を流し込んで本日の任務完了。心身ともに大満足のランチを堪能した。