■気まぐれ店主の絶品ジェラート

 シャモワで忘れられないものがもう1つの味が、『蜂蜜のジェラート』である。

 滞在していたホテルにとても気のいい若いフロント係のお兄ちゃんがいて、私は毎日朝夕、フロントの前を通る度にこのお兄ちゃんとおしゃべりするのを楽しみにしていた。山で暮らす人々の例に漏れず、彼も相当な登山愛好家であるらしく、初めてシャモワを訪れた私にオススメの登山ルートや周囲の細かい情報をあれこれと伝授してくれた。

 中でも彼が目を輝かせて熱く語ってくれたのが、隣村までのハイキングコースの終点にある『蜂蜜ジェラートの売店』。なんでも地元の養蜂家が手作りで作っているジェラートで、新鮮な牛乳と砂糖の代わりに蜂蜜をたっぷり使って作るのだという。但し、ここから1時間以上歩かなければ売店にはたどり着けない。一瞬ひるんだが、「シニョーラ、このジェラートはここでしか味わえない絶品なんです。絶対に食べに行く価値がありますよ!」と力説されたので、翌朝トライすることにした。

シャモワの村外れにあるトレッキングコースの入り口から歩いて行く。ルート107は別名「グランデ・バルコナータ・ディ・チェルヴィーノ(マッターホルンの大バルコニー)」と呼ばれている登山道

 シャモワから隣村のラ・マグデレイネまで歩くこと1時間ちょっと、森の中の遊歩道の終わりに目的の売店らしき小屋があった。しかし扉は閉まっている。ドアにはセロテープで貼り付けた殴り書きのメモが一枚。『午後2時開店』。ショックだったが、まあ仕方ない。来た道をとぼとぼとまた1時間歩いて引き返し、午後もう一度トライすることにした。

 二度目の訪問時はちゃんと開いていた。お兄ちゃんが絶賛した通り、なめらかな口どけ、ほんのり甘い蜂蜜の風味、ミルクも果物も新鮮そのもののジェラートは今まで食べたことがないほどデリケートな美味しさで、目が覚めるような思いがした。

 シャモワを発つ前日、もう一度だけこのジェラートを食べておきたいと、今度はちゃんと午後2時過ぎに着くよう計算し、また1時間かけて歩いて行った。売店は閉まっている。ドアにはまたしても殴り書きで『今日は休み』というメモが貼ってあった。当たれば天国、外れたら地獄……。ドアの殴り書きが恨めしい。本気で涙目になっている自分をなだめ、あの繊細な絶品ジェラートの味を舌の上で再現しながら、渋々とまた1時間の道のりを歩いて帰った。

2つの村を結ぶ道のりは誰でも難なく歩けるハイキングコースになっている
森林浴を楽しみながら、道中マッターホルンの雄姿も望める