■みんな日本で働きたい
「ここ、日本で働いてたやつがやってる雑貨屋」
シュレスタさんが教えてくれたのは食材やスパイスなんかが所狭しと置かれている小さな店。カウンターに座って店番しているアニキもやはり、日本語が流暢なのであった。しかも、
「新大久保に住んでたよ!」
と言うではないか。僕と同じ街の住民だったのである。
「大久保駅の向こう、小滝橋通りを越えてさ、一軒ネパールの店あるでしょ」
「確か『ミラン』かな?」
「そうそう! その店から入ったあたりのアパートにいた。懐かしいなあ。新大久保では駅前の『鳥貴族』でよく飲んでたよ」
なんて地元トークに花が咲く。新大久保はネパール人の多い街なのだ。彼もやっぱりカレー屋で働いていたそうだが、飲み歩いていたせいかあまりお金は貯まらず、コロナを機に見切りをつけて帰国したのだという。
「日本は楽しかったけど…… 疲れる国だよね」
小さく笑う。
次にシュレスタさんが紹介してくれたのは金物屋であった。真鍮の食器がびっちり飾られていて、きらびやかだ。
「私のカレー屋で使ってた食器、みんなここで買ったの。私のほかにもここの食器を日本で使ってる人いるよ」
バグルンで仕入れた食器が海を渡り、上野のカレー屋で日本人のお客の前に並ぶのだ。なんだか不思議な気分だ。
そして夜も更けた頃、シュレスタさんは「今日はもう任せといてくれ」と小さな店に連れていってくれた。
「ここは弟の店なんだ。オープンしたばかり」
ボックス席が4つばかり並び、地元の兄ちゃんたちがネパール風のスパイス焼き鳥セクワを肴にビールを傾けている。大衆居酒屋といった風情だ。シュレスタさんが日本で稼いだお金で、この店を弟に持たせたのだという。その弟も顔を出すが、こちらは日本語は話せない。
「弟も日本に行きたかった。でもビザが下りなくて」
だからシュレスタさんひとりが日本に渡り、上野のカレー屋でコックとして腕を振るい、ここバグルンの家族に送金をし続けてきた。バザール近郊に実家があって、そちらは新築したという。この店も含めて、シュレスタさんはきっと成功した出稼ぎの部類なのだろう。
「バグルンでは日本に行きたい人まだまだいっぱいいる」
その言葉通り、店にやってくるお客も、「いまビザのアプライ(申請)してる」「今度、留学の説明会に行く」なんて口々に僕に話して聞かせるのだ。観光と農業のほかに目立った産業がないこの国では、海外出稼ぎがもはや「主要産業」になってしまってる。そしてバグルンでは、「日本行き」を選ぶ人が非常にたくさんいるのだ。
その理由を探りに、僕はバグルン・バザールからさらに奥地へと向かうことにした。
(続く!)