■あちこちから日本語が聞こえてくる

 バザールと冠されている通り、なんとも賑やかな街である。街の真ん中に誰やらエラい人の胸像があって、その周辺を走る幾筋もの路地は、すべてこれ市場なのである。布地や服が多いだろうか。ほかには雑貨屋、食器、野菜や果物、肉、スパイス、スマホ、電化製品…… 小さな専門店が蝟集し、活気あるバザールを形成している。このわいわい感がなんとも楽しい。

 そんなバザールの中で、「JAPAN」と大書きされた看板をいくつも見かけた。すべて日本への留学や出稼ぎを斡旋する業者のものだ。ざっとバザールを歩いただけで、5軒ほどはあっただろうか。賑やかとはいえ、小さな街なのである。そこにこれだけの数の業者が密集しているのはただごとではない。驚きながら歩いていると、今度は日本語が飛んできた。

 「ニホンジン?」

 おじさんが目を丸くしている。思わず頷くとおじさんは僕の手を取り、

 「私、ウエノのカレー屋で働いてたことあるよ!」

 と満面の笑顔だ。しかしすぐに首を傾げ、

 「どうしてバグルンにいるの?  ここ、見るものなにもないよ」

 なんてこなれた日本語で言う。

 違う。ここにはおじさんたちがいる。日本で働き、苦労してきたあなたたちに会うために、僕はやってきたのだ。バグルンは日本への出稼ぎがきわめて多い地域である。自動車関連だとか食品加工などの工場で働く人、留学をステップに日本での就職を目指す人もいるが、圧倒的に目立つのはカレー屋だ。いまや日本のどんな場所にもあるネパール人経営のインドカレー屋だが、そのコックにはバグルン出身者が実に多い。日頃からネパール人のカレー屋に世話になっている身としては、一度このバグルンに来てみたかった……。

 そんなことを伝えると、シュレスタさんと名乗るおじさんは大いに首肯し、バザールを案内してくれるのであった。

バグルン・バザールからは標高8,167mダウラギリ峰がよく見えた
こんな看板がネパールの片田舎のバグルンにもたくさんある
彼も日本で働いていたことがあるそうな。新大久保在住だったという