■畠山重忠公碑、さかさ矢竹
重忠公は、二俣川の合戦で圧倒的な戦力差であったにも関わらず4時間にわたって死闘を繰り広げた。六ツ塚から徒歩7分程度の場所には重忠公が討たれた「畠山重忠公終焉の地」があり、終焉の地の標識が街中に建てられている。
この標識の奥、帷子川(かたびらがわ)の見晴らしの良い場所にひっそりと畠山重忠公碑が佇んでいる。ここは重忠公が納めた埼玉県深谷市畠山や、終焉の地となった鶴ヶ峰の有志の方々によって建てられ、ベンチや花などもよく手入れされている。この重忠公終焉の地には、現在でも多くの人が武士の鑑、重忠公を忍ぶために立ち寄っている。
畠山重忠公碑のすぐそばには、かつて「さかさ矢竹」が根付いていたと言われている。「さかさ矢竹」とは、重忠公が最後に矢にあたった際「我が心正しかれば、この矢に枝葉を生じ繁茂せよ」と矢を地面につきたて、その場所に根付いた矢が毎年2本ずつ増え、茂りつづけた竹のこと。現在は無くなってしまったが、畠山重忠公碑のすぐそばには「さかさ矢竹」の由来を書いた札が建てられている。
・畠山重忠公碑へのアクセス
相模本線「鶴ヶ峰駅」から徒歩約32分(駕籠塚や六ツ塚などを経由しなけらば徒歩約5分)
六ツ塚から徒歩約7分
■【MAP】畠山重忠公碑付近
■畠山重忠公首塚、首洗い井戸
畠山重忠公碑から歩いて約6分の場所に幕府軍と懸命に戦った重忠公の首を祀る首塚が建てられている。首塚のすぐ近くには、切り落とした重忠公の首を洗い清めたと言われる「首洗い井戸」の史跡がある。以前は河原にある直径1メートル程の穴から水が沸いていたと伝わっているが、現在、井戸は無くなっており標識が残っているのみである。
首洗い井戸のすぐ隣に建てられているのは「鎧の渡し」。かつてここは川があり、武士たちが川を渡る際、重たい鎧を頭に担いで渡った場所であるとのこと。
重忠公が戦い、壮絶な最期を遂げたこの場所には、たくさんの人が手を合わせ、お供物をしており、現代でも「武士の鑑」重忠公が慕われていることが伺える。
・畠山重忠公首塚へのアクセス
相模本線「鶴ヶ峰駅」から徒歩約40分(駕籠塚や六ツ塚などを経由しなけらば徒歩約5分)
畠山重忠公碑から徒歩約6分