■日本で最後に造られた城「園部城」

「史上最後の城」の城門は、園部高校と附属中学校の校門として今も現役(撮影:ブラボーマウンテン編集部)
学校敷地内の「園部城跡」の石碑(撮影:ブラボーマウンテン編集部)

 徳川幕府が新政府に政治の実権を返した「大政奉還」の翌年(明治元年)に各藩が廃城へと動いたのに対し、なぜか園部陣屋(藩庁がおかれた屋敷)では大改造が行われた。そして明治元年、時代を逆行するかのように三層の天守閣相当の櫓(やぐら)を築き、「園部城」へと昇格した。本来なら考えられない「明治に建てられた城」は、国内最後の城としても知られている。

 その理由は朝廷を守るためだった。この年は京都の南地域で「鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)」が繰り広げられ、旧幕府軍が御所を攻める可能性があったため、山陰や大阪への交通の要所でもあった園部(現南丹市)は、万一に備えて戦う体制を整えていた。

 結局、園部が戦場になることはなく明治政府が落ち着き、明治5年に役目を終えた園部城は、皮肉にも大改造からわずか4年で、そのほとんどが取り壊された。

園部城をイメージして、平成に建てられた国際交流会館(撮影:ブラボーマウンテン編集部)

 現在は城跡のエリアに府立園部高校と附属中学校、園部公園、国際交流会館、園部町役場、裁判所などが立ち並び、南丹市の行政、文化、教育の中心を担っている。

 園部公園内では、きれいに整備された天守閣が目を引くが、これは模擬の天守を施した「国際交流会館」で、当所の天守があった場所は園部高校と附属中学校の校地となっている。校舎の城門(やぐらもん)は当時のままで日々、中高生が門をくぐる光景には由緒が感じられる。

 一般的に国内の「明治の建築」といえば、西洋風がイメージされる。「明治の城」というユニークな一面を持つ園部城からは、激動する時代の転換期の様相がうかがえる。

●施設情報
園部城跡
・所在地:〒622-0004 京都府南丹市園部町小桜町

・URL:http://kyoto-sonobe.jpn.org/sonobecastle.html

■【MAP】園部城跡

■日本建築学会賞受賞の「日吉ダム」

「日本建築学会賞」を受賞した「日吉ダム」(写真提供:京都府)

 南丹市日吉町の「日吉ダム」は、貯水池の広さが甲子園球場約70個分にあたる274ヘクタールと広大で、近畿最大級の規模を誇る。京都府や大阪府、兵庫県阪神地区や神戸市への上水道供給を目的として1997年、淀川水系の桂川に建設された。重厚な作りで「軍艦ダム」の異名を持つ。 

自然との一体感を生み出す「日吉ダム」の風景(写真提供:京都府)

 「地域に開かれたダム」として、開館時間中はダム内の「インフォギャラリー」の見学が可能で、ダムが完成するまで建設状況を紹介するジオラマやパネルが展示されている。

 日吉ダムはゲート(水の出入り口)周辺が左右対称にデザインされ、円形の展望橋(遊歩道)も絡めた美しい景観が特徴。周囲の施設や自然と一体感のある景色を生み出していることなどが評価され、1999年には「日本建築学会賞」を受賞した。

 新緑や紅葉、雪景色など地域の四季に合わせた景観を求めて観光客も多い。すぐ近くの道の駅には温泉やバーベキュー広場などがあり、レストランには日吉ダムをイメージした「ダムカレー」もある。

 ●施設情報
日吉ダム
・所在地:〒622-0004 京都府南丹市園部町小桜町

・URL:https://www.water.go.jp/kansai/hiyoshi/

■【MAP】日吉ダム