■《理由3》ボーリング技術が普及したから 「地下の掘削で新しい温泉が続々誕生」

 江戸時代、温泉といえば原則的に断層などから自然噴出するお湯を用いるものに限定された。しかし、明治になると「上総掘り」というボーリング(掘削)技術が普及したことで、人工的に温泉を掘り当てることが可能になる。これは大きな一歩だった。

 そして、時代の流れとともにボーリング技術は進化し、全国で温泉開発の試みが行われ、新たな温泉が続々と開発されていった。ただし、温泉開発は、“掘ってみなければ分からない”部分もあり、失敗の例も少なくなかった。

 ところが、科学技術の進歩により地表から地下の地質構造について高い精度で調べることが可能になったことで、打率が大幅アップ。現在は、東京23区内にも複数の天然温泉施設がある。

■《理由4》高度経済成長期に団体旅行が流行ったから 「レジャーブームに応えて温泉地が興隆」

 戦中、終戦直後と日本は苦しい時代が続いたが、高度経済成長期になると、その反動のように空前のレジャーブームが巻き起こる。当然ながら、温泉旅行のニーズも大きく高まった。当時は何故か団体旅行が大流行で、バスや列車にて大人数で旅行するスタイルが人気だった。

 そして、その需要に対応するかたちで、大浴場と大宴会場を標準装備した大型温泉ホテル、旅館が各地に誕生していく。また、これと連動して温泉地周辺が歓楽街化する流れもあった。浴衣姿の人が行き来する、日本独自のあの「ザ・温泉街」ともいえる風景は、この頃にひとつのフォーマットが完成したのだ。

■《理由5》バブルに連動した温泉ブームが起きたから 「開放感いっぱいの温泉施設が急増」

 オイルショック後、経済が回復した80年代半ば新たに温泉ブームが起こる。このブームにより、温泉地に女性客が増加し、特に露天風呂人気が高まった。そのため、「露天風呂の有無」が温泉宿選びの基準の一つになる傾向もみられた。

 ブームはバブル経済と連動し、1987年の「リゾート法(総合保養地域整備法)」の制定と、「ふるさと創生事業」として国が各市区町村に1億円を交付したことなどが相まって、全国に温泉施設を新設。そこには人気のある露天風呂が併設される場合が多かった。また、既存の宿も温泉施設をバージョンアップさせ、露天風呂を増設するといった動きも目立ったのである。

露天風呂施設は、80年代の温泉ブーム以前は、今のように「あって当たり前」のものでもなかった

■施設の老朽化、バブル崩壊は痛手も再開発で新たな顧客層を掴む

 このように発展していった日本の温泉文化だが、すべてが右肩上がりという訳でもない。90年代半ば以降、老朽化した高度成長期生まれの宿泊施設が、ニーズの変容に対応しきれずに続々と廃業するという現象もあった。

 しかし、それは温泉文化全体を沈めるような出来事ではなかった。温泉人気は依然高値安定であり、2000年代以降は各温泉地の再開発が目覚ましく進んだ。露天風呂付き客室を有する高級温泉宿が増えるなど、新たな潮流も生まれた。そして、インバウンドという新しい客層も掴んでいった。

 コロナ禍により、インバウンドが消えた状況が続いているのは残念だが、長い歴史を経て発展してきた温泉文化は、間違いなく日本が誇るキラーコンテンツの一つなのである。