現在、日本中のどこに行っても温泉を楽しめる。多くの宿泊施設が温泉浴場を備えているのはもちろん、絶景の露天風呂、便利な日帰り温泉施設、さらに手軽な足湯施設などが各地に点在している。環境庁の発表によれば、2018年3月末現在、国内の温泉地数は2983ヵ所を数えるという。

 では、日本は何故、ここまで温泉文化が独自の形で発展したのだろうか? そこには主に5つの理由が考えられる。

長野県の地獄谷野猿公苑名物のスノーモンキー。日本ではサルも温泉に入るのだ

■《理由1》そもそも火山大国だから 「温泉のお湯はマグマの熱で温められる」

 温泉は主に次の3つの系統に分けられ、日本にある温泉は①がほとんどだ。

①【火山性温泉】
地下水がマグマ溜まり(地殻内でマグマが蓄積されている部分)の熱で温められるタイプ

②【非火山性温泉-深層地下水型-】
地下水が火山以外の熱で温められる生まれるタイプ

③【非火山性温泉-化石海水型-】
太古の地殻変動などにより、地中に閉じこめられ海水が地熱により温められるタイプ

 日本は地球上にある活火山のうち7%を有する世界屈指の火山国である。その独自の自然環境が、この国が温泉大国であることの根幹にある。そもそも火山が多いから、それに比例して温泉も多いということなのだ。

火山国だからこそ日本には温泉が豊富にある。ちなみに世界中で「火山がある国と地域」より「火山がない国と地域」の方が遥かに多い

■《理由2》徳川家康が道路を整備させたから 「全国に温泉ネットワークが完成する」

 日本では、太古より人間が温泉に浸かる文化が存在したと考えられている。奈良時代の『日本書紀』『風土記』などに、「日本三古泉」とされる道後温泉(愛媛県)、有馬温泉(兵庫県)、白浜温泉(和歌山県)などの名を確認できる。

 ただし、長い間、温泉を堪能するのは貴族や武家など上流階級に限定されていた。それが、庶民のレジャーとして普及するのは江戸時代のことだ。

 その現象は、NHK大河ドラマ『青天を衝け』でも話題になった人物・徳川家康が、江戸と日本各地を結ぶ街道の整備をプランニングしたことに端を発する。家康は全国支配を目的に、大規模な交通網を作ろうとしたのだ。

 やがて、計画が五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)として完成すると、同時に、旅の拠点として各地の宿場町が発展していく。なかには温泉が湧いているところもあり、それがその町の魅力をアップさせた。宿場町にある温泉は、参勤交代による大名行列の一団に重宝されたが、一方で、庶民もそれを利用していたのだ。

 江戸時代の庶民にとって、最大のレジャーが「伊勢参り」「金毘羅参り」など参拝を目的とした旅だ。いかんせん徒歩による遠距離移動なので簡単には決行できるものではなく、一生に一度レベルのビッグイベントだった。そのため、人々は本来の目的以外に、道中の温泉スポット(湯治場)での長期間滞在や、周辺観光など、オプションを最大限に楽しんだのだ。

 このように五街道の整備で、「旅」と「温泉」という魅力的なタッグチームが結成されたのである。

徳川幕府が全国規模の交通ネットワークと宿場町のシステムを作り、庶民に伊勢参りなどを許したことで、温泉はレジャーとして普及した