【山岳偉人伝  入門編】
このシリーズでは、山岳の世界で偉大なる功績を残した人物の軌跡を、簡単にまとめていきたい。

■第4回  登山界唯一の国民栄誉賞受賞者  植村直己

 植村直己は日本初のエベレスト登頂者にして国民栄誉賞受賞者。その半生が西田敏行主演で映画化もされ大ヒットしたことも手伝い、ある年代以上の人には世界的な冒険家として広く認知されている。

 その道程をここで再確認しよう。明治大学山岳部出身の植村は、大学卒業後にアメリカ、フランスと渡り歩き、働きながら登山資金を貯める生活をしていた。20代半ばとなった1965年、母校・明治大学のゴジュンバ・カン(チョ・オユーII峰)登頂隊に合流し、登頂を果たした。

 植村は1966年になると、驚異的なペースで世界の高峰に挑んでいく。7月にモンブランとマッターホルン、10月にキリマンジャロ……いずれも単独での登頂に成功。さらに1968年に南米最高峰のアコンカグア単独登頂を果たした。登山以外の冒険にもたびたびトライしているのも植村の特徴で、この時代は、アマゾン川のいかだ下り(6000km)という大冒険にも挑んでいる。

 4年半の海外生活を経て帰国した植村にビッグチャンスが訪れる。1970年、日本山岳会の創立65周年事業として派遣が決まったエベレスト登頂隊に植村も誘われたのだ。この時は、まだ日本人は誰もエベレストに登頂していなかった。ルート工作のスタッフとしての参加ながら、初めて世界最高峰に挑戦することになる。

 世界の名だたる高山での経験を積んでいた植村は、卓越した登攀技術や、タフネスぶりが認められ、サミットプッシュのメンバーに選ばれる。そして、1970年5月11日、松浦輝夫とともに日本人として初めてエベレスト登頂に成功する。

 その勢いで植村は、同年8月にマッキンリーに単独登頂。これで、エベレスト(アジア)、マッキンリー(北米)、アコンカグア(南米)、モンブラン(ヨーロッパ)、キリマンジャロ(アフリカ)と世界初の五大陸最高峰登頂者となった(当時、ヨーロッパ最高峰はモンブランとされていた)。

書籍『植村直己・夢の軌跡』湯川 豊(文藝春秋) 没後30年のタイミングで刊行された偉大なる冒険家の生涯に迫ったノンフィクション。人間・植村直己に鋭く迫った内容だ。■五大陸最高峰の次の目的地は地球の両極!

 次に植村は地球の両極へ夢を抱くようになる。そして、グリーンランド北部で現地の人々との共同生活を過ごし、1974年12月から1976年5月までの間に、北極圏1200kmの犬ぞり探検に成功する。1978年には犬ぞりを用いて、人類史上初の北極点単独行を達成。また、グリーンランド縦断も果たし、冒険家として世界的な名声を得ることになる。

 1980年、エベレストの厳冬期登頂を目指した植村を隊長とした隊が編成されるが、隊員の事故死もあり断念。1982年、南極点単独犬ぞり探検を計画したがフォークランド紛争(イギリスとアルゼンチン間の紛争)勃発により計画中断を余儀なくされる。

 挫折が続いた植村は一転、冬のマッキンリーを目指した。1984年2月12日、43歳の誕生日に世界初の冬期単独登頂を果たしている。ところが、そこから植村が戻ってくることはなかった。翌日の交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となってしまったのだ。最後に消息が確認された1984年2月13日が植村の命日とされた。享年43。その遺体はいまだ発見されていない。

植村直己
Naomi Uemura
【1941年2月12日~1984年2月13日】

 兵庫県出身。世界初五大陸最高峰登頂、単独北極圏到達、世界初マッキンリー冬期単独登頂などの偉業により海外でも高く評価され、日本人で初めて『ナショナルジオグラフィック』誌の表紙を飾った。バラー・イン・スポーツ賞など国際的な賞の受賞歴も複数ある。

●植村直己の軌跡

▶1965年:チョ・オユーII峰に登頂成功
▶1966年:モンブラン、マッターホルン、キリマンジャロの単独登頂に立て続けに成功
▶1968年:アコンカグア単独登頂に成功
▶1970年:エベレスト南東稜から登頂に成功(日本人初)、マッキンリーに挑戦し単独登頂を成功(世界初の五大陸最高峰登頂者に)
▶1978年:犬ぞりを用いた人類史上初の北極点単独行に成功
▶1980年:エベレストの厳冬期登頂を目指すが、隊員の事故により登頂を断念
▶1982年:南極点単独犬ぞり探検を計画するも、フォークランド紛争勃発により断念
▶1984年:世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたが、その後行方不明に。国民栄誉賞を受賞

書籍『青春を山に賭けて』植村直己(文藝春秋) 最初の刊行は1971年。少年時代から、世界を放浪した青年期、そして5大陸最高峰達成に至るまでのその冒険人生を綴ったロングセラー的一冊