■一人の貴族の悲しみと哲学的なテーマを具現化した空間

 周囲の自然環境をそのまま活かして設計されたという庭園内は、昼間でも薄暗く、ルート上に突如現れる緑の苔やシダに覆われた奇怪な石像の数々が神秘的な独自の世界を作り出している。ギリシャ神話などをモチーフにした巨像の多くは、この地の巨大な溶岩岩塊をベースとしてそのまま彫って作られたため、自然の岩肌と彫刻との境界線が曖昧で、森の中にしっくりと融合している。とはいえ、一般的に知られる「ルネサンス期の芸術」とはかけ離れたグロテスクで無秩序にも見えるこの庭園、いったい誰がどんな目的で作ったのだろう。

オークや西洋杉などの樹木、多彩なシダ植物、苔類が生息する聖なる森

 資料を紐解くと、この庭園を造ったのは、この地の領主ピエール・フランチェスコ・(別名ヴィチーノ)・オルシーニ。16世紀中頃(約1552年〜1580年頃)に最愛の妻ジュリア・ファルネーゼを亡くした後、妻の死に深く打ちひしがれたヴィチーノが「慰めの庭」をつくることを決意したことから始まった。そのため、この庭は愛する人の死を悼み、人生の不条理や苦悩など哲学的なテーマを象徴する空間とも言われている。

 ヴィチーノは、マニエリズムが盛んになった後期ルネサンス時代を代表する建築家ピッロ・リゴーリオに庭園の設計を依頼して造らせた。リゴーリオは噴水で有名なテォヴォリのヴィッラ・デステやサン・ピエトロ寺院なども手掛けた巨匠である。

 ルネサンスの当時、貴族の庭園といえば「権力と秩序の象徴」というのが当たり前だったのに対し、ボマルツォの庭園は、ヴィチーノ・オルシーニ個人の感情や思想、精神世界を具現化した稀有なものであった。奇怪な石像たちは神話や寓話、地獄、夢など、さまざまな異世界を象徴する存在だが、これらの像の配置や各像にどういう意味があったのかなど、詳細はどこにも記録されていない。そのため、今なお多くが謎のままだという。16世紀後半に領主が亡くなってから、この庭は約400年もの間放置され、忘れ去られていた。それを1954年に一人のイタリア人が買い取り、丁寧に修復してくれたお陰で怪物庭園は再び命を吹き返すことができたのだそうだ。

ペガサスの像がある打ち捨てられた噴水
翼を広げた勝利の女神・ニケを背に乗せた巨大な亀の像
古代劇の仮面が並ぶ石柱は「悲劇と喜劇の仮面の柱」と呼ばれている。悲劇と喜劇という人生の二面性、仮面は人の表裏という2つの二面性を表していると言われている