「日本は熱い湯船に浸かるお風呂文化の国だ! サウナなんて所詮、最近の流行りもんでしょ?」なんて思っている人は結構多い。

 でも、じつは現在のような湯船に浸かる入浴スタイルが一般的になったのは江戸後期からで、それ以前は蒸し風呂(サウナ)が主流だったことはあまり知られていない。

 言ってみれば、今は江戸後期から続く「温湯浴ブーム」の真っ只中。サウナの方がずっと歴史は古く、その源流はなんと奈良時代にまで遡る。今回は、日本サウナ誕生の歴史と、それにまつわる一つの愛の物語を紹介する。

■日本のサウナは仏教伝来とともに誕生した

 日本の風呂の歴史を辿ると奈良時代に行き着く。その頃の蒸し風呂は、地域によって「石風呂」「竈風呂」「からふろ」などの名称で呼ばれており、窯の中を一度熱したあとに海水に浸したむしろを引いて入るものや、大釜を煮立たせて作った蒸気を小屋の中に引き入れて蒸気浴をするものなどがあった。焼けた石に水をかけて蒸気を発生させる蒸し風呂(今でいうフィンランド式サウナ)も存在したという。

京都「八瀬かまぶろ温泉 ふるさと」に現存する最古の窯風呂(写真:サウナイキタイより)
行基が諸人の病気を治すために造ったといわれる「塚原のから風呂」(写真:うどん県旅ネットより)

 その時代に蒸し風呂文化が花開いた背景は、仏教伝来に由来する。インド仏教では沐浴が重要な行為とされ(風呂に入ることは七病を除き、七福を得るという教えがある)、大きな寺院の隣には浴場が設けられ、そこで施浴(貧しい人々や病に苦しむ人々に温浴を提供して入浴の手助けをすること)が行われていた。仏教が伝来すると、それに倣って奈良の大寺院には蒸風呂が造られ、この施浴が盛んに行われるようになったのだ。

■法華寺の浴室(からふろ)

 その中でも有名なものが、法華寺の浴室(からふろ)だ。法華寺は奈良の大仏を建立した聖武天皇の皇后である光明皇后が750年頃に造った寺院で、その近くに浴室も造られた。

 浴室内部には、湯を沸かす2つの大きな釜と、蒸気を浴びる2つの浴室があり、6人ずつ入ることができる。蒸気で身体を温め、発汗を促して身体を清潔にするというシンプルな仕組みだ。

現存する法華寺の浴室は江戸時代に再建されたもの。国の民俗文化財(写真AC:あじのすけ)

 余談だが、この浴室使用時に、すのこ板の間から上がってくる熱い蒸気でお尻が火傷しないように敷いた布が「風呂敷」の語源だ。そして、貴人が入浴のときに着た肌着が、「浴衣(ゆかた)」である。浴衣は元々外で着る衣装ではなく、文字通り入浴中に着るものだったのだ。