■ハイキングを楽しみながら歩いて国境を越える
イタリアとフランスの国境付近には、特に検問所などがあるわけでもなく、周囲をぶらぶら散策しながらハイキングを楽しむうち、いつの間にかフランス国内に入っていた。ランチに立ち寄ったレストランでは、バゲットやチーズ、オムレツなど、明らかにフランス風のメニューが並び、国が変わったことを実感する。
隣接するツーリスト・インフォメーションを訪れてみると、この峠の歴史や周囲の登山道などの情報を得ることができた。だだっ広い野原とばかり思っていたが、周辺にはトレッキングを楽しめるコースもたくさんあるようだ。さらに、この峠に古代ローマ時代の遺跡が残っていることを知って興味をそそられた。ただの石の寄せ集めだと思って見過ごしてきた場所は、実は古代ローマ時代の住居の遺跡であったらしい。
情報を得てから再び先ほどの場所に戻って、今度はじっくりと観察。よく見ると確かに長方形の形が残っている。この遺跡は「マンシオ」と呼ばれる古代の宿泊施設の跡で、中庭を囲うような長方形の建物は旅人や兵士達が休息するための宿だった。さらに、近くには古代のケルトの神に捧げられた神殿の跡もある。こんな山奥の小さな峠が、かつては文化も言葉も異なる大勢の旅人が行き来し、彼らをもてなすさまざまな施設も作られていた宿場だったことを示す貴重な遺跡だ。
古代、中世、近代、そして現代と、時空を超えて今なお現役で活躍している峠道。古代の旅人になったような気分でこの道を歩くと、感慨もひときわ深まる。
思わぬところで出会った古代遺跡めぐりを楽しんだ後、せっかくなので周囲のトレッキングルートも歩いてみることにした。
真っ青な水を湛えるヴェルネイ湖を見下ろしながら、湖をぐるっと回る丘の上の道を歩く。のんびりと草を食む牛の群れとすれ違いながら、緑豊かな山の上を一歩ずつ進んで行った。古代ローマ人は皮のサンダル一つでこの道を歩いて行ったのだな、と想像すると、人間の強さに感嘆せずにはいられない。
この丘を越え、その先の山をどんどん歩いていけばモンブランがあり、さらにその先にはマッターホルン、モンテ・ローザと続く。どこまでも果てしなく続いていくアルプス山脈の高い山々に思いを馳せながら、「陸続き」とはどういうことなのかを五感で味わう。
ヨーロッパの国々は、古代より絶えず侵略と戦争に晒されてきたという歴史を持っているが、こうして国境を歩いてみると、その理由がよくわかる。今でこそ、平和にバカンスを楽しむ人々が行き交うこの峠道も、かつては武器を担いだ兵士達が通った道なのだ。湖でのんびりと釣りを楽しむ家族連れの姿を眺めながら、どうかこんな平和で穏やかな風景がいつまでも見られる世界でありますように、と祈らずにはいられなかった。
文・写真/田島麻美