日本百名山の著者・深田久弥(ふかだきゅうや)は、石川県加賀市大聖寺(だいしょうじ)の出身で、12歳の時に遠足で「富士写ヶ岳(ふじしゃがたけ)」に登り、登山のおもしろさに目覚めたとされる。そのため、この山は「日本百名山“0”(ゼロ)座」とも呼ばれ、山頂には石碑もある。
4月中旬から5月にかけては、登山道にシャクナゲ、タムシバ、ミツバツツジなどが「これでもか」というくらいに咲き乱れ、多くの登山客が訪れる。筆者が登った某年4月にも、その見事な姿をカメラに収めることができた。
下山後に山中温泉総湯で熱い湯につかり、昭和41年創業のレトロ喫茶店で「昭和のプリン ア・ラ・モード」を味わう筆者おすすめルートを紹介する。
■かつて村があった登山口「大内峠」
富士写ヶ岳の名の由来は、加賀温泉郷のひとつ、山中温泉から見た姿が富士山に似ているからといわれている。
以前は我谷(わがたに)ダムからの往復コースが主流であったが、10年ほど前に石川・福井県境の火燈山(ひともしやま)に標高約330mの大内峠から登る「火燈古道」が整備され、火燈山のさらに奥にある小倉谷山(おぐらたにやま)、富士写ヶ岳と縦走し、元の場所に戻る周回縦走コースが人気となっている。
大内峠は南加賀地域(石川県側)と越前地域(福井県側)をつなぐ地にあり、かつては村もあった。駐車場のある広場には「今、大内の者すべてこの村を去る 心だけをこの地に残して」という石碑がある。
長丁場の山行であることもあり、出発は早めにしたい。筆者が歩いた4月下旬、登り始めは新緑が美しかった。
■白山を見ながらの縦走
登り始めて間もなく「シャクナゲ街道」となり、これが延々と続く。
約2時間尾根道を歩き、火燈山山頂に到着。福井平野、さらに日本海の展望が広がり、登りの疲れも吹き飛ぶ。
富士写ヶ岳に向けて再出発。タムシバが白い花を咲かせている道を抜け、約40分で小倉谷山に到着した。はるか向こうには文字通り白い「白山」が見える。
ここから約2時間、富士写ヶ岳まで「不惑新道」の稜線歩きとなる。「今、自分は峰々の間を縦走しているのだ」という感慨に浸る。途中約250m下り、また登り返しとなりなかなかハード。どうしても下を見ながら歩いてしまうが、足元に咲くイワウチワ、ショウジョウバカマなど可憐な花々が癒してくれる。