松本潤が主人公を演じる大河ドラマ『どうする家康』。ドラマでは桶狭間の戦いを経て今川家から独立し、三河平定戦の真っ最中。と、どんどん話は展開しているのだが、本連載ではもう少しだけ、松平家のルーツ、奥三河の名山城を取り上げたい。

■山城への入口で出会う「葵の御紋」

 その名も大給(おぎゅう)城。前回取り上げた松平城が本家の城で、こちらは分家筋にあたる大給松平家の居城。松平家の四代目・親忠の次男・乗元が祖だ。余談だが、大給松平家は譜代大名として幕府を支え、明治維新以降も続いている。東京都文京区千駄木には、同家の屋敷があった場所に「大給坂」という名も残っている。

 大給城の比高は約130m。麓から見上げるとかなりの高さだが、ありがたいことに中腹にある駐車場まで、舗装された道が続いている。駐車場から少し登ると、山道が延びている。

 ゆるやかな勾配の小道を進んでゆくと、少し開けた場所に出る。出丸的な曲輪に見えなくもない平地には、木立の中に石造りの柵。なんと扉も石造り。正面に回って見てみると、家紋らしき意匠を発見。

両扉に描かれた「葵の御紋」
「大給城主源乗元之墓」

 大給松平家初代・松平乗元の墓だった。歴史好きならご存知かと思うが、松平家は源氏の血筋といわれている(諸説あり)。ゆえに「源乗元」なのだ。

 近くにあった手水鉢の側面には、「天保七年」「松平石見守乗利建立」の文字が刻まれていた。大給松平家・十代目の当主が、祖先を偲んでこの墓を建てたのだろう。

■大堀切に巨石がゴロゴロ

 初代の墓に手を合わせた後、更に奥へと延びる山道をたどる。幅も広く勾配もほとんどない。のんびりした林間の道をテクテク歩いていたら、いきなり度肝を抜く遺構が現れた。

行く手を阻む巨大な堀切と切岸

 写真ではいまひとつわかりづらいので、現地案内板を見ながら補足したい。

大給城縄張図(現地案内板より)

 「現在地」の「地」の文字あたりから、西側を眺めたのが先の写真。真正面が「2」の曲輪東の切岸。落差数mはあろうか。ここは自然地形を上手く活かした風にも見える。

 これだけでも圧巻なのだが、さらにインパクト大なのが、「A」の巨大な堀切。先の写真では左手前。堀切直下から見上げてみると──。

堀切の底から頭上を眺める

 その落差もさることながら、巨石がゴロゴロと連なっているのが謎。堀切を補強するため? しかしそれにしては乱雑過ぎないか? とにかくこんなスタイルの堀切は、他の城では見たことがない。その異様さにしばし見惚れる。

 大堀切の先は、真正面はとても登れそうにない切岸なので、それを迂回するように道が曲がっている。勾配つきの虎口は、左、続いて右に折れる。

虎口の基部にはわずかながら石積も見られる

 その先で、さらに右に折れ、ようやく2の曲輪へ到達。この曲輪の入口は、折れのないシンプルな平虎口だ。

2の曲輪入口の平虎口
ここも石積で補強されている

■広大な曲輪を守る驚異の土塁

 平虎口を抜け曲輪内に足を踏み入れると、各辺10数メートルはありそうな、広大な平地で視界が一気に開けた。思わず「おおおっっっ」と声が出た。相当の兵士が駐屯できたと思われる。

 曲輪に入り、期せずして驚きを覚えた理由はもうひとつある。周囲を囲む土塁が素晴らしすぎる。

大堀切のある東面を守る土塁
こちらは南面の土塁。正面奥は上段の曲輪の切岸へ繋がっている

 先ほど、城内入口から見上げた切岸の上に位置することからも、ここが城の要所とみなされていたことは間違いないだろう。大堀切に四苦八苦している敵を、ここから狙い撃ちしてしまう。兵や物資を置くスペースも充分ある。

とんでもない遺構が待つ、DとEの城域へ

 2の曲輪よりさらに上にも曲輪は連なっているのだが、そちらへ向かう前に、ちょっと城域の北側へと道を逸れたい。というのも、その先にこそ、大堀切に勝るとも劣らない、とんでもないレア遺構があるからだ。

2の曲輪北西奥。切岸脇を抜ける道の先へは、またあとで……