最近「苔」が静かなブームだ。筆者の知人がガラス瓶の中で苔を育てる「苔テラニウム」をやっていて、その魅力を語っていた。ガラス瓶の中でひっそりと育つ姿に神秘を感じるのだと。国歌「君が代」の中にも「苔のむすまで」という歌詞がある。聞いているうちに、苔のある場所に行きたくなってきた。
「苔寺」といえば京都の「西芳寺(さいほうじ)」や、鎌倉の「妙法寺(みょうほうじ)」が有名。しかし、歴史小説家・司馬遼太郎のエッセイ「街道をゆく~越前の諸道」の中で、「京都の苔寺の苔など、この境内にひろがる苔の規模と質からみれば、笑止なほどであった」と記していた場所があったのを思い出した。福井県勝山市にある「平泉寺白山神社(へいせんじはくさんじんじゃ)」だ。「苔寺」を超えた、「苔の聖地」と言ってもいい場所に行ってみた。
■中世には一大宗教都市だった「白山平泉寺」
北陸道福井北JCTから中部循環道に入り、勝山ICで降りる。左手に「福井県恐竜博物館」「越前大仏」を見ながら国道157号線「恐竜街道」を走り、「勝山城」の手前で左折。
少し行くと、「平泉寺白山神社」の入口である「下馬大橋」に着く。ここから境内入口まで約1.2km旧参道が続く。見事な老木が延々と並んでいて、「日本の道百選」にも選ばれている。
「白山平泉寺」は717年、霊峰・白山に初めて登頂した僧・泰澄大師が開山。福井県坂井市の名勝の名の由来となった「東尋坊」は、平安時代末期ここの僧侶だったという。
源義経一行も、奥州に逃れる最中にここに立ち寄ったという記録が「義経記」に残っている。中世には一大宗教都市となり、最盛期には48社36堂6千僧坊を擁したというが、1574年、一向一揆により全山焼失。「勝山」という地名は、一向宗徒が平泉寺の僧兵に勝ったことを記念してつけられた。
その後、江戸時代には、徳川家の菩提寺である「寛永寺」の末寺となり、境内は菩提林として保護された。明治期には「神仏分離令」で「平泉寺白山神社」となり、今に至る。
門前町のにぎわいも、荘厳な建物もなく、大きなお祭りが催されることもなく、数百年間の静謐と水が見事な苔を育んだ。