■こだわりのスタイル! アルパインクライミング

 ひと昔前までは、隊員、装備、食糧、酸素などを潤沢に用意し、キャンプを多数設けて確実に登頂する、いわゆる「極地法」が日本人の登り方であった。このスタイルは確実にキャンプを延ばすことができ、環境の悪い時は待つことができる。サポート体制が充実しており、有事の際は退路が確保しやすい。

 それに対して、我々が遠征するときのスタイルは、「アルパインクライミング」という登山形態だ。少人数、短期間で、ルートを突破する登山スタイル。荷物や期間の負担は減るが、その分スピーディーな行動と個人の能力の高さが求められる。また、有事の際のバックアップが乏しいため、より失敗できなくなる。そして、主に重量の問題から酸素ボンベを持たないため、高所登山においても基本的には無酸素登山となる。

■登山のきっかけは……

2003年、入部当初。全ての合宿が、肉体的限界への挑戦であった
2006年。2年間の主将生活。自覚、責任、信頼と葛藤する孤独な日々
2007年。卒部し、同部コーチに

 幼少期から親に連れられ、何度か地元(長野県大町市)の山に登っていた。ちなみに母親は生後半年の私を背負い、吹雪のなか中央アルプスに登っていたらしい……!

 若い頃も特別運動神経が良いわけではなかった。中学校ではバスケットボール部。まったく芽が出なかったが、逆に走ってばかりいたことが今の土台になっている……? 育った環境にも恵まれ、物心ついた時からスキーを履かせてもらっていた。地元ではレーシング(競技スキー)をしていて、この経験が雪上歩行のバランス感覚にもつながっているのかも。

 本格的に登山を始めたのは高校山岳部。「インターハイに出られる!」という文句に釣られて入部した。さらに大学も山岳部へ。

 大学山岳部時代の山行日数は年間100日ほどだった。当時の記憶は9割が辛いものであるが、山にこもり、如何なる環境下でも生活をしていたことは、今につながる基礎となっている。

■仕事も山関係に!

仕事で山登りへ。手には撮影機材。なぜか満面の笑みで嬉しそう

 大学を卒業後、一度は登山を離れた(教員生活など)。しかし、登山を追及したい気持ちが高まり、山の世界へ戻った。多くのご縁があり、海外登山のサポートやテレビ番組の撮影を仕事にすることができ、傍ら自身の挑戦も継続している。登山を中心に生活できている現状は、厳しくも恵まれたものである。

 その年にもよるが、最近は確実に仕事で山に行っていることの方が多い。割合では仕事が8割ほどになる年も……。しかし、過酷な仕事も多く、学生時代とは違った視点で山を見る目も養えていると思う。社会人クライマーは仕事の合間を縫って登山に出掛ける。私も同じではあるが、仕事の現場も山であることは幸せなことである。

 海外登山が続く場合は一年の半分が海外であることも。しかし、昨年は靭帯断裂→手術によって登山はおろかジョギングさえできない期間が続いた。思い通りの活動ができず、フリーランスは体が資本ということを思い知った。