<「うだつの上がる」街並みからスタート。前編もチェック>
<鵜匠が見守り続けてきた長良川の変化とは。中編へ続く>

■美濃和紙水運のルートを辿る、小瀬湊〜中川原湊(約16km)

凛とした冷気に包まれる早朝の小瀬湊。波ひとつ立っていない鏡のような川面からは、微かに川霧が立ちのぼっていた。自分以外の時が止まっているような錯覚すら覚える。冬の川旅のいいところは、リアルな寂寥感に五感で対峙できるところだ。その寂寥感は、街で感じる孤独感とは違ってとても神聖なものなのだ。

鏡のような川面。小瀬湊は無音の世界だった

 7時過ぎに出発。今日は16km先の中川原湊を目指す。鮎之瀬橋を超えると、適度な長さの瀬が現れて寝ぼけた体にスイッチが入る。いくつかのトロ場(流れのない場所)とちょっとした瀬を乗り越えていくと、「小瀬の洞窟」と呼ばれる謎の穴に出くわした。この穴は川の上からじゃないと、その姿を近くから見ることができない。なぜこんな穴ができたのかはわからないが、その背景を想像するのもまた楽しいものだ。

小瀬の洞窟。何かしらの昔話とかがありそうだ

 洞窟からしばらく行くと千疋大橋(せんびきおおはし)が現れた。その橋には大きな文字で「注意! この先の長良川、落差あり 危険!」の横断幕が掲げられている。

 橋を越えると川は左右に別れており、右が長良川の本流だ。その分岐点の先に「落差」の正体がいる。それは川幅いっぱいに敷き詰められたテトラポットとブロックのことだ。ここは今回のコース上でもっとも危険な場所なので、必ず右岸からポーテージ(陸上から回避)してほしい。

千疋大橋下流のテトラポット群。絶対突っ込まないこと

 そこからは、川が蛇行する場所に簡単な瀬がある以外は、基本的に穏やかな流れが続く。昨晩、鵜匠の家の女将さんが持たせてくれた大きなおにぎりを取り出す。その土地の人が“優しさ”を乗せて作ってくれた食べ物ほど美味しいものはない。その素朴なおにぎりの味は、お腹だけでなく心も満たしてくれ、漕ぎ続けるためのパワーもくれた。

 こういう時に「ああ、旅をしているな」と感じることは多い。川旅であえて寂寥感を求めてしまうのは、人の温もりをより感じるためなんじゃないかと思うことがある。

 南下を続けていた長良川の流れは、千鳥橋を越えるとその流路を西に向け始める。するとそこから強い逆風が吹き始め、漕いでも漕いでもなかなか進まない状態になった。この時期特有の「伊吹おろし」と呼ばれる季節風だ。この風に限らず、僕のイメージでは、長良川は午後になると川下から風が吹いてくることが多い。かつて水運に使われていた舟や、鵜飼で使用されていた舟は、その風を利用して帆を張って川を遡行したという。

逆風の中、必死で漕いでいく。鵜飼い大橋の先に岐阜城が見えてきた

 上有知港(こうずちみなと)からの美濃和紙水運のルートを辿った長良川の旅。当時と同じように、今美濃和紙を積んだ(と勝手に妄想した)僕が中川原湊に到着しようとしている。岐阜城がそびえる金華山直下まで来ると、そこはまさに長良川鵜飼の御料場だ。鵜飼いシーズンの夜ともなれば、多くの鵜飼い舟と観覧船が浮かび、勇壮かつ雅な古典絵巻を繰り広げる。

 長良橋を越えて左岸にゴールした。そこがかつての中川原湊である。僕は荷物をまとめ、そのほとりにある川原町(かわらまち)へと旅の舞台を移した。

中川原湊。今では多くの鵜飼い観覧船が停泊している