■川原町の古い町並みをゆく

 時刻はちょうどお昼過ぎ。まず真っ先に向かったのは、明治の頃よりおよそ100年、この地で鮎料理を提供している「川原町泉屋」だ。鵜飼いの文化とともに生まれた名産品である、鮎うるか、鮎昆布巻、子持鮎紅梅煮、鮎のひらき、子持鮎ナレズシなども製造・販売している。鮎ピザなどの創作料理もあるが、今回のお目当ては「炭火焼・鮎らーめん」だ。鮎焼きほぐしや天然鮎の魚醤で深みをプラスしたスープに、備長炭でじっくり焼いた鮎のひらきが乗っているという贅沢な一品。今回の旅は、とことん鮎づくしなのである。

鮎らーめん。天然鮎の魚醤入りスープが絶品だ

 川原町は、上流から木材、美濃から和紙、下流から海産物が運ばれてきたという長良川最大の湊町だ。そこには多くの問屋が軒を連ね、今でも美しい格子窓の町並みが往時を偲ばせている。

お腹も満たされ、川原町の古い町並みを散策する

 上有知湊から運ばれた美濃和紙は、この地で提灯・うちわ・和傘などに加工されて全国へと羽ばたいて行った。時代とともに職人の数は減ってしまったが、今でも先人からの知恵や技術を受け継ぎ、時代に合った形で次の世に残していこうという人たちがいる。その受け継いだ技の妙に触れられるのが、全国でも唯一の岐阜和傘専門店「長良川てしごと町家CASA」だ。ここで新しい時代の息吹を纏った美しい和傘に触れることによって、美濃和紙の昔から今を辿ってきた僕は、しっかりと「美濃和紙の未来」も感じることができたのである。

息を飲む美しさと精巧さ。次の世にも繋いでいくべき大切な文化だ

 なんとも贅沢な川旅だった。美濃和紙の水運を通して、川と文化のつながり、伝統文化の過去と未来を垣間見ることができた。川とともに生きる鵜匠の声を聞き、天然の鮎も味わった。それらを自ら川を下りながら総合的に感じることで、理屈ではなく体と心で噛み締めることができた。形や環境は変われど、時代に合わせて「清流長良川の鮎(長良川システム)」はこの流域に確かに息づいている。それは堂々と世界に誇れるものであり、日本人がもう一度思い出さなければならないものだとも感じた。

「みんな自然を生かして、自前で生きていける環境を作っていかないとね。色々と逆行する時代になるかもしれないが、そうしないと自然は持たない」

 足立鵜匠の言葉を思い出しながら、僕は家路についた。