幼い頃から、焚き火はいつも私の身近にあった。いまでこそ人から羨ましがられるが、当時の私にとって焚き火はあって当たり前のものだったので、特別に思ったことなんて一度もない。
しかし、薪割りは別だ。田舎育ちとはいえ、薪で沸かす風呂や囲炉裏のある家ではなかったので、幼少期に薪割りをした経験はない。焚き火はもはや私の日常の一部だが、斧を使った薪割りには非日常的な楽しみを感じてしまい、最近すっかりハマっている。
なぜ夢中になったのか改めて考えてみると、焚き火が「癒し」を与えてくれるものだとするならば、薪割りは「刺激」を得られるものだからだろう。斧を振り下ろし、大きな薪が上手く割れたときの手応えは言葉にならない刺激と気持ち良さがある。
野球に例えるならば、バットの芯で上手くボールを捉えてホームランを打ったような快感。野球と同様、ちょっとでもスイートスポットを外すと、手が痺れてしまう難しさと隣り合わせ、という部分も似ている。野球、やったことないけど。
また、「薪を割る」という大義名分のもと、「ものを壊す行為」が許されていることも魅力だろう。実際、ワークショップで薪割りを体験してもらうと、誰もが取り憑かれたように斧を振り落とすようになる。お皿を割ったり、ものを壊して破壊衝動を満たすレジャースポットがあるくらいだから、薪を割る行為もストレス発散に効果的なのだろう。