世界遺産ドロミティ山塊の玄関口であるボルツァーノ。オーストリアとの国境に近いトレンティーノ=アルト・アディジェ州にあるこの街は、1918年まではオーストリア領だった。そのため、今でもドイツ語とイタリア語が公用語とされていて、ドイツ・オーストリアの文化が色濃く残っている。背後に3千メートル級の山々がそびえる美しい北イタリアの街は、異国情緒たっぷり。

 そのボルツァーノから登山電車やバスで簡単にアクセスできて、ドロミティの大自然を満喫できるお手軽なスポットをご紹介しよう。

世界遺産ドロミテ山塊の玄関口の街は軽食もドルチェも満載の食べ歩き天国だった!【ブーツの国の街角で vol.03「ボルツァーノ」】

■5300年前のアイスマンとご対面

   食べ歩きでお腹も満足したところで、ボルツァーノ観光の目玉である「アイスマン」に会いに行くことにした。エルベ広場からタルヴェラ川へ向かって数分のところにあるアルト・アディジェ考古学博物館には、今から約5300年前の男性のミイラが眠っている。

旧石器時代からのアルト・アディジェの歴史がわかるアルト・アディジェ考古学博物館。館内の大部分が「エッツィ」の展示に費やされている。楽しみながら学べる体験コーナーもある

 イタリア・オーストリア国境にあるアルプスの氷河で氷漬けになっていた男性が見つかったのは1991年のこと。当初は雪山の遭難者の遺体かと思われていたが、その後の調査で彼の衣類や所持品が欧州の青銅器時代前半のものであることが判明。以来、国際的な研究チームにより多角的な調査が現在も続けられているが、特に2012年に実施された解凍調査ではDNA鑑定やレントゲン、CTスキャンなどを用いて詳細なデータを採取することに成功した。

2012年の解凍調査のデータを元に復元された「エッツィ」の姿。この調査により、身長160cm、体重50kg、血液型O型、年齢は50歳前後、刺青といった外見データだけでなく、腰痛持ちだったことや消化不良に悩まされていたことなども明らかになった

 発見された場所であるエッツ渓谷にちなみ「エッツィ・ジ・アイスマン」と名付けられたこのミイラは、5000年以上もの間、氷河に閉じ込められていたため保存状態が非常に良く、古代の人々の暮らしを知る貴重な手がかりを私たちに伝えている。

   博物館には、エッツィの持ち物や衣類が展示されているだけでなく、それらの素材や仕立て方、武器の使用目的、旅のルートなど様々な研究の成果がわかりやすく解説されている。解剖調査やDNA鑑定の結果も、タッチスクリーンやビデオなどを多用し、一目でわかる工夫がされているので、子どもも大人も楽しみながら遥か昔の人類の足跡に触れることができる。

エッツィの所持品を再現した体験コーナー。彼の着ていた衣服を実際に着用したり、道具を作ったりすることができる

 私が一番興味を持ったのは、いまだに「謎」とされているエッツィの死因についての展示ブースだった。「エッツィ殺人事件」と題して、まるでアメリカの犯罪ドラマのように詳細に死因についての見解を説明している。直接の死因となった矢の形状から刺さった角度、深さなどを詳細に図解してあるだけでなく、検死解剖の様子や解剖医のインタビュービデオまで用意されている。

 のんびりと見学していた午後のひと時が突然スリル満点のサスペンスの舞台に早変わりし、展示を詳細に見ていくうちにいつの間にか犯人探しをしている自分に気づかされた。

博物館見学の後は、目の前にあるタルヴェラ川沿いの遊歩道で散歩も楽しめる