■自家製ヨーグルトをいただきながら考える
ガルコットは町というか、ガタガタの道路に沿って商店や宿や食堂が連なる、街道筋の宿場といった風情だった。山間部だからか、冷たい風が吹き、埃が舞う。
ここからさらに、僻地へと入っていく。ジープを乗り換え、今度はほとんど河原のような、道ともいえない道を登りつめ、山の斜面にささやかに広がる小さな村々へと入っていく。
なんとも美しい風景なのだ。山腹を活用した段々畑では、小麦が穂を揺らしている。ジープを降りて村を歩くと、土壁の小さな家がいくつも立っている。それぞれ石壁を巡らせ、庭で菜の花や唐辛子やバジルやカリフラワーなどを育て、鶏や水牛を飼い、ほとんど自給自足の暮らしを送っているようだった。
そんな村を歩いていると、日本語で声がかかる。
「あらあ、日本人? 懐かしいねえ」
刈り取った稲わらを背負ったおばちゃんだった。どこから見ても地元の農民にしか見えないおばちゃんの口から、日本語が出てくる面白い違和感。吉祥寺で、夫婦でカレー屋をやっていたそうだ。
「うち、そばだから寄ってってよ」
誘われるままについていくと、がっちりした石造り3階建ての、なかなか立派なお宅だった。日本で稼いだお金で建てたそうだ。村を見晴らせる屋上に案内されると、つくりたてだという新鮮な水牛のヨーグルトが出てきた。濃厚で、実においしい。
「日本は楽しかったよ。日本人の友達もたくさんできた。でもね、やっぱりここの暮らしのほうがいいから。いまは弟が出稼ぎに行ってる」
周囲には同じような「カレー御殿」がいくつも建っていた。一方で近くの村では、一家全員が日本に行ってしまったため放棄されている家、廃村となってしまったような場所もある。子どもたちもどんどん親について日本に行ってしまうから、学校も減っているそうだ。
「いろいろ問題があることはわかっています」
やはり子どもたちが日本に行っているという老人が話す。
「ガルコットを離れて、稼いだお金でポカラやカトマンズに移住して、帰らない人もいる。それでも、この国にはなにもない。いい仕事がない。若い人たちが、稼ぎたいから海外に行く、知り合いを頼って日本に行くというのを止めることはできません」