■旅情と絶景の小雲取越
小雲取越の起点となるのは、和歌山県田辺市本宮町にある熊野川沿いの「請川」という場所だ。バス停(下地橋)や公衆トイレもある。山道は古来より参詣道として使われているため非常に歩きやすく、5月ということもあって気持ちのいい新緑が続く。登山道とは違って、古道独特な人の匂いと趣を感じるトレイルだ。所々にはかつて参詣者をもてなした茶屋跡があり、なんとも旅情緒をくすぐってくる。
急坂を越えていくと、突然ドンと景色が開けて「百間ぐら」という場所に到達する。ここからは熊野三千六百峰といわれる峰々が一望できる。夕景の名所としても知られる絶景スポットだ。
2つ目の峠となる桜峠を越え、雰囲気のある桜茶屋跡を越えて行くと、いよいよ赤木川の姿を眼下に捉えだす。正直、赤木川には車で簡単に行けるんだが、そこをあえて山を越えて歩いて来たことで妙に感動的な気分になる。
世の中が便利になりすぎると、ありがたいものも普通になってしまう。本当の感動とは、不便と苦労の先にこそあるもの。古の参詣者と、少しだけ感情がリンクした気持ちになった。
■至極の川原泊
小雲取越の終点の「小口(新宮市熊野川町)」に到着すると、そのまま赤木川の支流である和田川を遡上していく。川下りの起点を探しつつ、今夜の5つ星ホテル(川原泊に最適な場所)を探すためだ。
やがて流木が豊富で、川から一段上がったところが平らになっており、目の前は清流のせせらぎという最高のスイートルームを発見。即座にチェックイン作業(川でビールを冷やす)を済ませ、ベッドメイキング(タープ張り)に勤しんだ。
価値観なんぞ、全てが自分次第。ここでは金の延べ棒より、乾いた流木の方が価値があるのだ。
夜になり、ただただ焚き火の炎を見つめながら、川の音、虫の鳴き声をバックミュージックにウイスキーをちびちびと飲む。世界遺産の懐に抱かれながら、人間社会でこびりついた何か黒いものが炎と一緒に闇に溶けていく。ここでは誰かと何かを比べることもなければ、背伸びをする必要もない。
ほろ酔い気分でそのまま川原に横になれば、頭上には満天の星空。その星空を囲むように、炎の揺らめきの投影で木々が踊っているように見える。やがて気持ち良い眠気に誘われて、もそもそとタープの下に移動した。焚き火のパチパチという音が心地いい。その音が鎮まっていくのと同時に、僕も眠りに落ちた。
<中編に続く>