<「うだつの上がる」街並みからスタート。前編もチェック>
<古の水路と街を旅する。後編へ続く>

 世界農業遺産「清流長良川の鮎」をテーマにした、冬の長良川1泊2日の川旅。美濃和紙の水運を辿って到着したのは、歴史のロマンと鵜匠文化が息づく「小瀬湊(おぜみなと)」だ。この地で現役鵜匠の話を聞き、天然の鮎を食べ、長良川の過去・現在・未来に触れ、再び美濃和紙水運の要所「中川原湊」を目指す旅が始まる。

■円空さんの終焉の地を訪ねる

 美濃和紙水運の流れに乗り、夕方前にたどり着いた小瀬湊。周囲は山に囲まれ、街からも離れているため、静かでゆっくりとした時間が流れている。湊のほとりにあるホテルにチェックインし、荷物を置いて周辺の散策に出かけた。

 向かったのは「弥勒寺官衙遺跡群(みろくじかんがいせきぐん)」だ。ここはかつて古代豪族の氏寺(弥勒寺)があった場所で、当時は寺院としての役割だけではなく、政治の重要拠点(今でいう県庁的な?)だったそう。およそ1300年前の壬申の乱の頃というから、美濃和紙発祥の歴史ともリンクする。何よりも、それだけ重要な寺院がこの場所にあったことからも、長良川と人々の暮らしが古の時代から密接だったことが窺える。

広大な敷地内に様々な伽藍が建っていた

 弥勒寺は戦国時代、戦火による消失で一度衰退してしまったが、元禄2年(1689年)に円空が再興している。円空といえば、あの素朴かつ力強い木彫りの仏像を日本各地で彫りまくった有名な仏師・僧侶。今ではこの場所に、「関市円空館」があり、約40体の円空仏を見ることができる。

 円空仏は純粋にアートとしても圧倒されるし、微笑みに満ちた優しい仏の数々は見るだけで癒される。いろいろ疲れちゃっている現代人は、理屈抜きでこの円空仏は眺めておいた方がいい。

弥勒寺西遺跡に建つ「関市円空館」

 長良川に面した場所には「円空入定塚(えんくうにゅうじょうづか)」もある。そこは死期を察した円空が自ら土の中に入り、絶食して即身仏となった場所だ。円空は今でもここから長良川を見守り続け、人々の幸せを祈願しているのである。