足立鵜匠は、僕より2つ年上のほぼ同世代。高度成長期の様々な影響が川に変化をもたらし始め、目に見えて川の環境が変わっていくのを見てきた世代だ。

「昔は深いところまで透明だったし、水量もあった。僕が高校の頃より1mは水深が下がっているかな。大きい石が減って砂利が増えた。だから鮎は石についた苔をたくさん食べられず、数も減って小さくなり、その上お腹に砂利がたまるようになった」

 清流長良川と鮎のシステム(里川における人と鮎のつながり)も、時代とともに変化している。人々が川を向かなくなった生活をし始めると、そのシステムは簡単に崩れてしまう。鮎の量も激減し、鵜匠も漁だけでは生活が成り立たなくなってきているのだ。

「川の環境変化の要因は1つじゃない。河口堰や支流の砂防ダム、森林環境の変化とか、何が直接的な原因かはわからない。正直明るい未来はまだ見えてこない。鵜匠に限らず、みんな自然を生かして自前で生きていける環境を作っていかないとね。色々と逆行する時代になるかもしれないが、そうしないと自然は持たない。」

子持ち鮎の赤煮と鵜匠どぶろく。僕の鮎メシ史上最高の美味しさだった

 鵜匠としての歴史を繋ぎ、長良川と鮎を愛し続けてきた鵜匠の言葉は強く響いた。「清流長良川と鮎」のシステムが世界農業遺産になった意味を、改めてしっかり考えないといけない気がする。流域の人々の暮らしがちゃんと川を向き、そのシステムの中にい続けることができれば、きっと鵜匠の文化は次の世代にも受け継がれていくことだろう。鵜匠文化が続くということは、長良川流域の人と自然とのバランスが保たれていることも意味しているのだ。

 心地よくほろ酔いで歩く帰り道、鮎之瀬橋の上から漆黒の長良川を眺める。耳を澄ますと、舟を漕ぐ音、舟べりを叩く音、鵜の鳴き声、鵜匠の掛け声が聞こえるような気がした。また今年も変わらず、5月から幻想的な小瀬鵜飼が始まることだろう。