◼️未知の世界に “触れる” だけではなく、“理解” がしたい

GHT沿いには、トレッカーが来ないような普通の村落が点在している

 移住を考え始め時にふと思い出したのが、アメリカで現地の人に言われた言葉だ。雑談の中で「アメリカって楽しいところだね」と言ったら、「それは君がまだ、アメリカのいいところしか見てないからだよ」と返された。まったくその通りだった。

 旅をしていると、どうしても “いいところ” ばかりが目に入る。たとえよくないところを目の当たりにしても、いい意味でそれは旅のスパイスとして消化される。でも僕は、その土地の裏側や生活者のこと、よそ者には見せない普段の暮らしぶりや心情も知りたいという欲があった。これは自分の根っからの性格によるものなのか、ライターとしての気質によるものなのか、はわからない。

 ネパールに対しても同じ気持ちだった。僕はヒマラヤの自然を感じ、ヒマラヤの村を訪ね歩くだけじゃ満たされなかった。きっと、僕は旅がしたいわけじゃないのだと思う。人や文化に“触れる” だけじゃなく、“理解” がしたい。

◼️旅人ではなく生活者になりたいと思った

ヒマラヤでよく目にするスケールの大きな棚田。ここは里山でもあるのだ

 ネパールという国は、日本の40%くらいの広さに、約3,000万人が暮らしている。首都カトマンズの標高は1,300m。乾季と雨季がはっきりしていて、ちょうど今 (日本でいう夏)はモンスーン真っ盛り。短時間ではあるが、毎日のように雨が降る。

 公用語はネパール語。民族は多種多様。宗教はヒンドゥー教が8割、仏教が1割弱。のんびりとした気質の国で、いい意味でゆるい。人も、時間も、空気も。ちょっと力が抜けていて心地いい。

 たぶん、その感じも僕にはちょうどよかったのかもしれない。 

カトマンズの中心にある繁華街タメルの風景

 僕は、ここに住もうと思った。 

 好きすぎてというわけでも、日本が嫌だからというわけでもない。ネパールを深く理解するためには、現地で暮らすことが一番だっただけだ。

 旅人としてでは、いつまでたっても外様でしかない。ネパール語を学び、ネパールで生活をし、ネパール人と同じような暮らしをする。僕には、これが必要だったのだ。