標高314mの飯盛山(いいもりやま)は、大阪府四条畷市(しじょうなわてし)と大東市の市境にある。実は登山でも有名な山だが、それ以上に歴史ロマンあふれることでも知られている山だ。今回はそんな飯盛山で、歴史ロマン登山に行ってきた。

■歴史ロマンあふれる飯盛山

 歴史好きの方が大阪府四条畷市と聞けば、「四条畷の戦い(1348年)」を思い浮かべるだろう。四条畷の戦いとは、「太平記」にも書かれている南北朝時代の内戦。南朝方の「楠木正成(くすのきまさしげ)」の遺児、「楠木正行(くすのきまさつら)」が、北朝方の「高師直(こうのもろなお)」や「佐々木導誉(ささきどうよ)」らと戦い、壮絶な戦死をした。

 この四条畷の戦いは、飯盛山のふもとで繰り広げられ、戦死した楠木正行は古戦場付近の四条畷神社に祀られている。

 時代は下り、戦国時代。飯盛山山頂の飯盛山城には、天下人として畿内(きない)に君臨していた三好長慶(みよしながよし・1522-1564)がいた。その三好長慶が亡くなった後、三好氏を滅ぼしたのが織田信長(1534-1582)だ。

 さらに時代は下り、今、NHK大河ドラマ「どうする家康」で注目されている、のちの天下人、徳川家康(1543-1616)が登場。徳川家康は京都に向かう途中に、飯盛山あたりを通りかかったらしい。そこで徳川家康は本能寺の変で織田信長が死去したことを知り、かの有名な領地三河への逃亡劇「伊賀越え」が始まるのである。