「旭山動物園」や「あさひかわラーメン村」といった観光地で知られる、北海道第2の都市旭川市。北海道の屋根「大雪山系」の山々から流れる伏流水に恵まれ、道内でも酒蔵の多い街としても知られている。そんな旭川の酒蔵から、今回は「男山株式会社」を紹介したい。江戸時代から続く本家「男山」を継承し、日本国内のみならず、世界にもファンが多い酒蔵だ。

■「男山」を育んだ旭川

 「男山」を育んだ旭川市は、大正11(1922)年8月1日に市制が施行されてから、今年で100周年を迎える。「旭川市立博物館」では旭川の歴史に加え、開拓以前から続くアイヌの人々の暮らしを知ることができる。明治の開拓期から、家具や食品など「ものづくり」が息づく街は、令和元年(2019)年にイタリアのトリノなどと並びユネスコデザイン都市に指定され、近年は「デザインのまち」としても注目を集めている。

 市内には「旭川デザインセンター」をはじめ、野外彫刻や「上野ファーム」、「あさひかわ北彩都公園」といった魅力的なガーデンもある。「旭山動物園」では、新しく「えぞひぐま館」がオープンするなど、さらなる発展を遂げている。

 自然環境をふりかえれば、大雪山系をはじめとした山々から流れる、川の多い街としても知られている。石狩川、​​忠別川、美瑛川など、その本数は136本、総延長は613kmに及ぶ。その水の豊富さと寒冷な気候が酒蔵の創業を後押しした。

■「男山」の歴史

蔵人の半てんや前掛をつけ、大きな酒樽を前に記念撮影ができる(画像提供:男山株式会社)
「男山」の描かれた浮世絵や掛け軸など、貴重な資料が並ぶ(写真:佐藤麦)
伝統的な酒造りの道具が並ぶ(写真:佐藤麦)

 元祖「男山」は江戸時代、寛文年間(1661〜1673年)に西伊丹の​​​​​​酒屋として誕生した。「男山」の名は京都の「男山八幡宮」からつけられたという。徳川将軍家の御膳酒に引き立てられ、江戸の庶民にも愛された「男山」は、武士の元服の祝儀になるほどだったとか。しかし、灘酒流行のあおりを受け、明治初頭には廃業を余儀なくされたという。

 昭和43(1968)年に、それまで途絶えていた「男山」の正統を継承することになったのが、現在の「男山株式会社」。全国に数ある「男山」を冠する酒蔵の中で、正統を引き継ぐ酒蔵だ。その前身は、「山崎酒造」。北海道が開拓された明治期、明治20(1887)年に、初代山崎與吉氏によって創業されている。

 「男山」の約350年にわたる歴史を物語る資料は「男山株式会社」に併設する「男山酒造り資料舘」に展示されている。伝統的な酒造りの道具はもちろん、「男山」の描かれた喜多川歌麿、歌川国芳の浮世絵や、葛飾北斎の掛軸、「男山」本家から受け継いだ古文書など、貴重な資料は必見だ。

●男山酒造り資料舘

・住所:北海道旭川市永山2条7丁目1番33号
・電話:0166-47-7080

・ホームページURL:https://www.otokoyama.com/museum/ ※営業日時はホームページよりご確認ください