筆者は日頃、近代以降の日本社会における「精神疾患と法」の関係を研究している。昼は自宅で古い史料を読み漁り、夜は繁華街に繰り出して、現代の病や闇に耳を傾ける。寺に生まれたため、僧侶や信仰に関わる人と話す機会も少なくない。
そんなアウトドアとは無縁な筆者だが、人や文化が“正常”と“異常”の線引きをされる過程を見つめるうちに、その境界は社会だけでなく、自然の中にも存在していると感じるようになった。宗教者たちとの会話のなかでも、山や川といった自然にまつわる不思議な話を聞くことがある。
今回は、沖縄出身の僧侶の体験をご紹介しよう。家族や血縁を大切にする沖縄の人たちにとって、非常に重要な「お墓を移す」という行事の最中に起きた出来事だ。いったい、何があったのか。
■「墓の移動」でユタが突然に声を上げ!?
「子どものころ、墓地で“ある警告”を受けた」 そう語るのは、沖縄出身の後藤さん(仮名・30代)だ。
「私が中学生のときの話です。当時、我が家のお墓は山の中にあったのですが、街中の整備された霊園に移すことになりました。草刈りなどの手間がかかるうえ、高齢の親族のお参りが大変になってきたのが理由です」(後藤さん、以下同)
沖縄の墓は本土のものとは違い、大きさや形が独特だ。後藤さん一族の墓は、山の斜面を掘って入口部分を石や漆喰で固めた「亀甲墓」と呼ばれるもの。丸みを帯びた形をしており、一説によれば「母の胎」を象徴し、死と再生の循環を意味するともいわれている。
お骨を移動させる日、後藤さんたちは山に分け入った。その際、沖縄の巫女であるユタも同行したそうだ。
「うちでは昔から、お盆やお彼岸などにはユタを呼んで先祖供養しています。沖縄で暮らしている人の家では、一般的な光景です。沖縄ではユタの存在が身近なので、本土の人たちがお坊さんを呼ぶ感覚で、何かあれば彼女たちに頼るんですよ」
みんなで山を登っていき、お墓のある開けた場所に出た。一族の人間以外は誰も来ないような鬱蒼とした山の中。この日も周りは静かだったという。
いざ墓を開けようとなったそのとき、ユタの女性が急に声を上げた。
「『今から言う干支の人間は墓の中を見たらダメ』と言うんです。そして3つくらい干支を挙げたんですが、そのひとつが私の干支でした」
他の親族は「見たらダメな干支」に当てはまらず、該当したのは後藤さんひとりだけ。彼はユタに指示されるまま、墓に背を向けて待機するしかなかった。
「なぜ見たらダメなのかは教えてもらえず、ただぼーっと立っているしかありませんでした。ヒマだなぁと思っていると、ユタの女性が近づいてきて…… 突然、『お前は星の巡りが悪い』と言われました。そして、草木でできたお守りをくれたんです」
■「もしかしたら、お守のおかげかもしれません」
そのお守りはおそらく、「サングァー(サン)」と呼ばれるものだろう。ススキの葉を結んで作られる魔除けで、「マジムン」や「ヤナムン」と呼ばれる悪霊を追い払う力があるという。近年では観光客向けに、レザーで作ったサングァーが販売されている。ユタがサングァーを渡してきたということは、後藤さんに何かよくないモノの気配があったのだろうか……。
「『星の巡りが悪い』の意味も教えてもらえませんでした。気持ちとしては『え? なんで?』という感じでしたが、ユタが言うなら……と、もらったお守りを服のポケットに入れました。そのあと、とくに何かあったわけでもなく、今に至るまで平穏に過ごしています。もしかしたら、お守りのおかげかもしれませんね」
不思議な出来事を、怖がるでも疑うでもなく、ただ起きたそのままに受け止める。そんな後藤さんの語り口に、沖縄の人々のおおらかさを感じた。この土地では、「わからないもの」とともに生きることが、暮らしの中に溶け込んでいるのかもしれない。