「いつか死ぬから旅に出た」

 冒険家で、自らを自転車乗りを指す“チャリダーマン”と名乗る周藤卓也(しゅうとうたくや)氏が旅に出た理由は、実にインパクトのある言葉だった。

 どんなに旅が好きでも、世界を一周しようと思う人は少ないだろう。その中でも、本当に一周してしまった人は一握りしかいない。

 自転車とテントだけで2005年から2016年の約10年をかけて世界150か国を回り、2022年に自らの体験を綴った著書『いつか死ぬから旅に出た』(海鳥社)を出版した周藤氏にインタビューし、波乱に満ちた旅の話を聞いた。

■動機は「いつか死ぬから」

アメリカのユタ州、雪の中でも野営(写真提供:周藤 卓也氏)

 周藤氏が長期間、世界各地を自転車で走り続ける理由は何だったのだろうか。また、旅を通してどのような体験をしたのかを聞いてみた。

■世界を旅すると決めたきっかけ

 1983年8月、福岡県で生まれた周藤氏。旅に出ると決めたのは高校受験を控えた15歳のときだった。祖父の死や、哲学の本に影響されて「誰しも死からは逃れられない」「一度きりの人生、悔いなく生きたい」という思いにいたったという。

 高校入学時には世界への旅に出ることを心に決め、アルバイトが許されている高校へ進学。旅費を稼ぎながら海外で生きるために必要な語学を学び、卒業旅行では自転車で約15,500㎞を走って日本一周を成し遂げた。このとき世界一周に必要な野宿や炊飯、自転車の修理方法などを習得し、高校卒業と同時に18歳で夢の実現へ踏み出した。

■10年かけて150か国、時には危険な体験も 

アメリカのザイオン国立公園(写真提供:周藤 卓也氏)

 世界一周にかかった期間や走行距離は、具体的にどのくらいだろうか。

 「一時帰国を挟みながら3回に分けて旅をしました。合計で10年くらいですね」。日数にして3,869日、訪れた国は150か国、総距離は地球3周分を超える131,214kmに及ぶ、とてつもなく長い旅路である。

 危険な目には遭わなかったのか。筆者の質問に対し「危険と言ってもいろいろあるから難しいけど、メキシコでナタを持った強盗に遭遇したり、アフリカでマラリアに感染したりしました。あれは怖かった」と振り返る。

 強盗は取れるものだけ取って立ち去ったため、大きなけがはなかった。マラリアに感染した際は、腸チフスも併発していて高熱が何日も続いたという。「医療施設の整った街ではなく、集落で病気にかかっていたらゾッとする」。サラッとした口ぶりだが、どちらも死を身近に感じるような体験だ。日本にいる筆者には想像もつかない壮絶な経験である。

 さらに「ペルーでは4,000m級の山で高山病にもかかって、頭がガンガンしたり、テントの近くに大型の野生動物の足音が聞こえた時もやばかったね」と苦笑する。ありとあらゆる危険を乗り越えながらの旅であったという。

■「ケチった」旅費は1,000万円!

キルギスでの羊の大群(写真提供:周藤 卓也氏)

 費やした金額は一体どのくらいだろうか。「ざっくり合計1,000万円くらい。東南アジアや南米では、宿に泊まるのも安いし、食事も安いところが多い。でも旅を中止した時の帰りの航空券が片道10万円かかったことが痛い出費だったかな」と話すが、10年かけて150か国を回ったことを考えると高額ではないのかもしれない。

 旅費を“ケチり”すぎて、自由を求めて旅をしているはずなのに、行きたいところに行けず、食べたい物を食べられない「自由なのに不自由」という状況にも陥った。旅の後半からは食事や観光など必要と思う部分にはお金を費やして、旅を楽しんだという。

 もっとも高い宿でもアラブ首長国連邦で8,156円、一番安い宿では中国で140円と、うまく資金繰りしながらの旅だった。

キルギスの山脈(写真提供:周藤 卓也氏)