さて、いよいよ自然の話をしたいと思う。筆者が訪れた11月後半、南半球のニュージーランドは春から夏の変わり目の時期。日本の森ならさまざまな落葉樹の新芽が展開し、明るい森の林床にはタチツボスミレやチゴユリなどの山野草が見られるシーズンだ。

 しかし、南島にあるトレイル「ルートバーン・トラック」の森は暗く、地面も苔とシダに覆われているため、別世界に来た印象を受けた。それもそのはず、ここは北半球には生育していないナンキョクブナという樹木が優占する原生林なのだ。

 かつて、ナンキョクブナは日本で見られるブナと同じブナ科に分類されていた。しかし「APG分類体系」という近年主流となったゲノム解析によって分類する方法により、ブナ科から独立してナンキョクブナ科となった。ナンキョクブナの仲間はオーストラリア、ニューギニア、南米など、南半球だけで40種以上確認されており、ニュージーランドには5種類が見られすべてが常緑樹だ。

 ルートバーン・トラックでは、レッドビーチ(赤ブナ)、シルバービーチ(銀ブナ)、マウンテンビーチ(山ブナ)の3種類のナンキョクブナを見ることができた。なかでも特にレッドビーチは巨木が多く、樹皮は赤くコケに覆われ、さしずめ森の長老といった感じ。

ナンキョクブナの原生林と苔むした林床

 出発点からいく筋の沢を越え、原生林の森を行くこと2時間、視界が開けて広い谷の草原に出た。最初のハット(山小屋)であるルートバーン・フラッツハットとキャンプ場を通り過ぎ、1時間ほど急斜面を登ると今日泊まるルートバーン・フォールズハットが霧の中に現れた。初日の全行程は約10km。ハットに入ると、2段ベッド、ガスコンロ、トイレ、給水設備などが揃っていて快適だ。

 2日目も雨と霧。さすが降雨量が屋久島レベルの年間最大9,000 mmの地域だ。ハットを出て無数の滝が流れる斜面を登ると高木がなくなり、岩、低木、草原が広がる地帯となった。DOC(ニュージーランドの国立公園を管理する環境保全省Department of Conservation)のレンジャーによれば、この一帯は厳しい気候と緯度の高さから、標高1,000m付近で線を引いたように森林限界となり、高山・亜高山帯になるようだ(日本の本州では2,500〜2,800mほど)。

原生林が標高1,000m付近で終わっている

 2日目の道のりは約11km。高山・亜高山帯を歩いた後、急下降して渓谷を埋め尽くす原生林と湖にたどり着く。この6時間ほどのトレイルは絶景に次ぐ絶景が待っている。

 まず高山・亜高山帯であるが、氷河で削られた山脈と渓谷の眺めは圧倒的だ。そして足元は高山植物の宝庫である。植物図鑑によれば、ニュージーランドの植物は白や黄色の花がとても多いとあるが、本当に白い花ばかり。たまたま白い花に日本で見られるクジャクチョウのような蝶がとまった。撮影して後日調べたところ、ニュージーランドに12種類しかいない固有種(この国にしか生息していない)で、“New Zealand red admiral”(ニュージーランドの赤い提督)だった。ちなみに日本固有の蝶は約240種もいる。

 トレイルの途中には高層湿原があり、湿った環境を好むモウセンゴケの仲間も多く見られた。モウセンゴケは、葉の周りにある毛から粘液を分泌し、ハエやカなどの小さな昆虫を捕まえて食べる食虫植物の一種だ。

 高山・亜高山帯ルートが終わり、ジグザグと下降すること2時間、湖の側に建つマッケンジーハットに到着。そこから湖の端まで1kmほどの道を歩くと、氷河に削られたU字谷と聳え立つ山脈が眼前に現れた。誰もいない湖畔でスマホもなく佇んだ時間は、日本では味わえないピースフルな体験となった。